NBO69~1周回って逆に良し~

知的障害者施設で働く支援員の日常を語るブログですが、飽き易いので度々脱線します。


*「福祉の人」という言葉は、現場では皮肉として使われる。

要は「優等生」だとか「いい人」だとかいうのと同じである。

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被災地ボランティアレポート⑧派遣その2

1ヶ月経ってしまった。なのでここで書くことは1ヶ月前の状況である。まあそんなに変わらないだろうが。


被災地に着いた明くる日は引継ぎということで、石巻と女川を見て回った。主に道と仮説住宅及び避難所の確認。それと被害状況を知るというのが目的である。


涌谷から石巻は道一本で行けるので迷わない。だいたい20分くらいだろうか。道中はのどかな田園風景が続く。たまに道が隆起していたりするが、それ以外に震災の跡は見られない。途中石ノ森電車が通ったりする。車両にライダーとか009とかの絵が書いてあるやつだ。


石巻に入るとでっかいイオンだのヨーカドーだのがあって賑わっている。皆普通に買い物している。この辺は前回来たときにも見た。この辺ではまだ被害はわからない。


イオンから1・2キロ、役所方面に行くと状況は変わる。津波は役所も襲っていて、役所前の信号は未だに止まっている。周辺の店舗はシャッターが下りている所が多く、1階部分がめちゃくちゃになっている家屋もある。


役所を過ぎて北上川を渡ると、更に様相が一変する。一帯が完全に廃墟である。「瓦礫が片付いている」というのは公道の話である。家屋はバラバラになっていればただの木片なので片付けられるが、どんなにボロボロでも立っていれば「家」であり個人の所有物である。勝手に片付けられない。道の両側にはそういった家屋・工場・学校が「どうしていいか分からない」状態で立ち並んでいる。


港の方に行くと立っている物が減ってがらんとしている。元々の風景がさっぱり分からない。そんな中に巨大な缶詰が落ちていたりしてシュールである。どうやら鯨の甘露煮の看板のようだが、これはもう笑うしかない。「有り得ない物」を見たとき、人間は笑うしか術が無い。


NBO69~1周回って逆に良し~-巨大缶詰



女川の港ではもっと驚くことになる。


次の写真を見て欲しい。


NBO69~1周回って逆に良し~


これが女川の港である。手前の緑の建物は横倒しになったビルである。緑の部分は屋根である。ビルが浮き上がって流されて転がっているのである。これもかなり衝撃的だが、本当に驚くのはここではない。

この写真がどこから撮られたか考えて欲しい。結構高い場所から撮ったということは分かるだろう。これは高台の病院から撮っている。ビルがこれだけ俯瞰で撮られているのだから相当高い高台だと分かると思う。実際20メートルくらいあったと思う。しかも切り立った所である。しかしこの病院、被害にあっているである。津波の被害にである。病院自体は目立った傷跡はないが、駐輪場はひしゃげ、駐車場の看板は曲がって錆びていた。この写真を撮っている人間のところまで届くような津波が迫っているのを想像してみてほしい。自分は想像できなかった。まさに想像を超える津波だったわけだ。


20メートルの高台でダメって、どうすりゃいいのだろう。これじゃ女川の復興は遅れそうだ。だって、これからどうしたらいいかさっぱり分からないもの。津波対策は諦めてそのまま住むか。それとも住むのは諦めるか。まあおそらく職住分離になるんだと思う。港は復興させる。でも住むのは・・・。そんな感じになっちゃうんだろうな。…なんて思ってたら先日の報道で土地の価値が8割落ちたと言ってた。残念だけど、実際その場を見た人間なら皆納得すると思う。



そんな感じで初日が終わって、次の日からは実際に被災に合った人達と接していくことになるわけだが、それはまた次回。

被災地ボランティアレポート⑦派遣その1

正確に言うとボランティアではありませんが、また被災地に行ってきました。


職場にJDFから派遣要請があったのです。それに立候補したのです。職場絡みなので、ボラというより仕事な訳です。お給料も出たし。…9日間のうちの5日分だけど。



まずJDFの説明。JDFとは日本障害フォーラムの略です。簡単に言えば、全国の障害者関係の施設が加わっている「○○協会」みたいなやつをほぼ全部まとめた団体です。つまり今回の派遣は、全国の障害者施設の職員をかき集めて、被災地の障害者支援の手伝いをしよう、というものなのです。…と言ってもよく分かりませんよね。自分もよく分かりません。分からなくても活動の中身は問題無く説明できるので、分からなくていいです。


何はともあれ行ってきました。場所は涌谷町。とは言っても事務所が涌谷なだけで、活動場所は石巻&女川です。自分は石巻担当でした。


ちょっと待て。石巻で活動するなら、なんで事務所を石巻に置かないのか? これは単純な話で、「石巻市内に寝泊りできるような事務所があれば、そこは被災者に譲る」ということだそうです。そりゃそうだ。家やら学校やら会社やら施設やら失った人がたくさんいるのに、我等よそ者が横取りしてどうする。


とはいえ涌谷の事務所も寝泊りするのにそんなによい所ではありませんでした。選挙事務所に使っていたような所です。プレハブみたいな所です。話は聞いていたのですが、最初見た時は「え、ここに寝るんすか?」って思いましたよ。風呂?そんなものはありません。


その事務所に着いたのが9月24日土曜日。施設のワゴンで自分と施設長と、同法人の作業所の施設長の3名で、布団とか着替えとか差し入れのリポDとか詰め込んで、走って走って6時間弱。やっと着いたら件のプレハブだったわけです。どっと疲れました。あ、帰りてえ。そう思いました。


その日は特に仕事はせず、石巻までの道を確認したくらいで、後は歓送迎会的なことをしてもらって終わりました。風呂は近所に温泉施設があって、そこで入りました(結局毎日そこに行きました)。食事は毎日弁当とパンとレトルトだと聞いていたのですが、ガスコンロが1口あり、鍋や包丁があったので自炊できる環境でした(結局毎日他の人の分まで自分が作りました)。睡眠に関しても、施設から持ち出した布団に加え、マイ枕とマイ毛布も持参していたので、床の上で雑魚寝とはいえ、それなりに眠れました。


さて、目が覚めて、次の日は引継ぎでした。引継ぎと言っても、要は道の確認です。まあその辺からは次回。今日はここまで。眠い。

被災地ボランティアレポート⑥バスパックつづき

畑にスコップを刺し込み刺し込み、泥と稲を持ち上げ猫に放り込む。その作業を延々と繰り返す。


30分程で体が言う事を利かなくなってくる。


寝不足が祟った。1日作業する自信が無くなる。


丁度、熱中症を避けるための休憩となる。


水分を摂り、息を整える。仲間と談笑する。


「これ、どこまでやれば終わりなんすかねー」


そんなこと言ってる間に休憩終わり。作業再開。


不思議と、体が動く。


眠気のピークを越えて、変な脳内物質が出始めたのだろう。夜勤明けの日とかによくある。


ざくざく掘り返す。


おそらく午前中は自分が一番掘ったのではなかろうか。脳内物質怖し。


途中から他の団体が来て、畑の反対端から作業を開始。


それを見て、「向こうギャルがいますよ。ギャル。二人も」と社協の職員。


「一人貰ってきてくださいよ。絶対作業能率上がります」と、自分。


「一人ちょっとぽっちゃりですけど」


「なんでも構いません!いないよりマシです!」


そんな馬鹿話をしている横で、警察が遺体捜索をしていたり。…カオスである。疲労と眠気と潮臭さと非日常な風景の中で、「現実」がどこにあるのか、よくわからなくなってくる。


そんなこんなで午前終了。お昼休憩。買ってきたおにぎりやらパンやらを食べ、お守り代わりに持ってきたリポDを飲みほす。


飲み食いした後、時間があったのでちょっと歩く。


ハエとアメンボ以外何の気配も無い、雑草まみれになった、あるいは汚い沼地になった、一面の農地。


海からは2キロくらいだろう。もっと海の近くになると、片付けられていない瓦礫が山と残っていて、酷い汚臭がするのだろう。…しかし、ここでも充分に理解できる。


もし、ここに自分の家があったら?


立ち直る気力など、当分湧かないだろう。なんせ、何も無いのだ。一面何も無いのだ。


今までのバスパックに全て参加したというおじさんと話をした。震災関係のニュースを見るたびに涙腺が緩むという。


残念ながら自分はそこまで感傷的にはなれない。なる必要もないと思う。ただ、現地に立つことで、自分に置き換えて考えることができた。それは、多分意味のあることだったのだと思う。



日が頭の真上を過ぎ、午後の作業が始まる。


開始早々、スコップ係と猫係とに自動的に分かれ、連携して作業するようになる。


全員がコツを掴んだ様子で、一気に作業能率が上がる。


なんてったって、コツさえ掴めば若いのが強い。文科系の学生っぽい眼鏡男子が、自分を遥かに凌ぐスピードで掘りまくる。


まけじとおっさん連中(自分含む)が頑張る。


絶対終わらないと思っていた作業が、時間前に終了である。


あまった時間で反対側から作業してた他団体(午前で帰った)が複数箇所に残した稲の山を、一箇所にまとめる。


15時、作業終了。畑の持ち主夫婦も案内人のボラの兄ちゃんも、「こんなにやってくれるなんて」と喜んでくれた。自分等もこんなに出来るとは思わなかった。チームプレーって大事だ。


出張所に戻って顔を洗い、着替える。更衣室など無い。バスの前にビニシを広げてそこで着替える。


ウェットティッシュで全身を拭く。顔と腕がザラザラする。日焼けだ。トイレに行って鏡を見ると、顔が息子のほっぺみたいに赤くなっている。帰りのSA寄った時とか、ちょっと恥ずかしいなこれ。


バスに乗り込んで現場を後にする。またボコボコの堤防の上を走っていく。「田んぼのような畑」の風景が後ろに去っていく。他のメンバーが次々と眠りに落ちていく。自分は、何も思わない。何を思うべきなのか分からない。ただただ、軽い興奮から抜け出せず、眠れない。



そしてそのまま一睡もせずに24時過ぎ地元に帰還いたし候。いまだに感想を聞かれると困る。ただこうして、見た事やった事を書くのみなのです。

被災地ボランティアレポート⑤バスパック

深夜23時、男達が集まる。


学生からジジイまで、総勢20名。


これからバスに乗り込んで被災地へ向かうのである。


行き先は知れない。ギリギリまで向こうの連絡待ちなのである。既に宮城県ではニーズが限られている。


15分前に集合場所に着く。顔見知りの社協職員に挨拶し、出席確認をする。


班分けする場合の番号が書かれた紙を渡される。そこで初めて行き先が分かる。


石巻である。


早々とバスに乗り込む。前から2番目の席に座る。後ろは団体さんが座るだろう。


時間前にきっちり揃う。さすがいい加減なヤツはいないようだ。


社協職員も2名同行する。2人とも自分より華奢である。まあ、大丈夫だろう。


時間通り出発。近くのICから関越に乗り、分岐分岐で東北道へ。


佐野でトイレ休憩して、そこから仮眠。しかし1時間経たずに目が覚める。


白河手前。バスが跳ね始めた。


見た目には分からない程度だが、道がうねっているのである。まだ震災の痕が完治していないのだ。


結局そこから菅生まで眠れず。そしてその菅生では立ち往生。南仙台から工事で封鎖されている。


SAはどこも混んでいる。未明にも関わらずレジは長蛇の列。自分等と同じようなボラのバス、トラック、それに加えて三連休で六魂祭である。菅生にいたっては、そこに工事封鎖なのだからジャムり具合もハンパではなかった。まあ、おかげでその時間、飯食って、眠れた。


朝になって道が開通し、石巻に7時半到着。眠い。合計しても2時間寝たかどうか。それも座ってであるから、寝た気がしない。気持ち悪い。


大学の敷地内にVCとテント村。そこにバスが10台程も集まっている。他のバスからは女学生っぽいのがゾロゾロ降りてくる。おいおい、どうなってんだ。うちは女率ゼロだぜ。テンションが下がる。ローテンションで8時半まで待機。気持ち悪い。


8時半の受付を済ませて社協職員が戻ってくる。バスの運転手と行き先を確認している。乗り込んできた運転手が言う。移動します。大川小学校の近くです。・・・さんざん報道された、生徒がたくさん犠牲になった、あの小学校である。


瓦礫置き場のコンクリート山を横目に、トンネルをいくつか抜け、橋をいくつか渡り、堤防の上をガタガタ走って海の近くへ。石巻は広い。VCから現場まで、有料道路を使っても30分以上掛かった。風景もまったく違う。


堤防を降りて小さな住宅の中に入っていく。家々の壁にラインが出来ている。水没した跡である。進むにつれてラインが高くなる。最終的に150cm程。自分なぞ、ほぼ埋まる。


古い木造住宅は打ち捨てられているものもあったが、新しめの家は普通に生活している。今の家はすげえな。


役所の出張所らしき所でバスを降りる。そこから案内人の到着を待ち、近くの畑へ。畑には青々と稲が茂っている。


なんとまあ、先ほど田んぼだと思ったのは、ほとんど畑であった。稲やらなにやら流されてきて、ヘドロが積もった上に抜け抜けと茂っているのである。逞しいなあ、では済まない。これからこいつ等を全て除去するのである。ヘドロの層ごと。折りしも空は雲一つ無い夏日。まあ「真」夏日って程では無いから、死にやしないだろう。


つづく。

被災地ボランティアレポート④作業

家の中に入ると床上の泥かきは終わっており、床板がすでに剥がされている。床下の泥もそんなに多くない。メンバーが続々と「おじゃまします」と挨拶して上がりこむ。全員、誰の指示を受けるともなく、スコップを手に取って作業に取り掛かる。平日なので平均年齢はかなり高めだが、単独で来た人達ばかりである。すばらしい自主性である。「自分で考えて動けないヤツは足手まといになるだろう」とは思っていたが、自分の参加したチームに足手まといはいなかった。ちょっと焦った。他人を観察している場合ではない。働かにゃ。


床板が無いので、格子状に組まれている柱の上を移動し、ポイントを見つけては降り、柱をまたぎながら泥をすくう。パワーよりも身軽さが求められる。泥をちょびちょびすくってはバケツに入れる。それを家の外に持っていって一輪車に移す…というのを繰り返す。途中から自然発生的にすくう係とバケツを交換する係ができる。家の中の人員が充分だと判断して庭の泥かきに移る人もいる。全員が自主的だから、面白いように作業が進む。


泥はほとんど渇いていたが、階段の下など、日が当たらず風通しの悪い場所は湿ったままだった。磯臭い。しかしただ臭いだけではない。ガソリンだとか化学薬品だとかが混じっている可能性もあるので、うかつに汚れた手で目をこすったりできない。ゴーグルは早々に外して帽子を止めるバンドになってしまっている。見回すと誰一人ゴーグルをしていない。塵が舞い上がるような現場ではないということもあるが、しとどに流れ落ちる汗が蒸気になってゴーグルを曇らせるのだ。このクソ暑い日に合羽を着て顔も首もガードしているのだから当然である。


1時間経ったところでリーダーが休憩の呼びかけをする。水分補給と疲労による事故防止のため、1時間に1回は休憩することになっている。家の外に出て顔周りの装備を全部外す。予想以上に汗をかいている。持参した水を顔にかけ、口にも含む。とにかく足腰よりも顔が疲れる。ここまで汗をかくと、ゴーグルだけでなしに、帽子やマスクもかなり鬱陶しいのだ。「ボランティアは笑顔が大事」と言われているが、とても笑えない。


休憩中、他のメンバーと雑談をする。最初に話しかけてきてくれた60歳くらいのおっちゃんは地元の方で、「津波があと300メートル内陸まで来てたらうちもやられてた」という。来る途中で見た有料道路が堤防の役目をしてくれて助かったのだという。家は大丈夫だったと言っても、生活圏がここまでめちゃくちゃでは、ボランティアも被災者である。よくやるなあと思った。偉い。


次に同世代っぽいサブリーダーに、こちらから話かける。聞けば29歳である。1コ下だ。京都から来たらしい。すでに1ヶ月ボラを続けているとのこと。後で聞いた話だが、当然今は無職で、元々難しい資格を取るために、バイトしながら勉強をしていたらしい。現在もテント村で生活しながら勉強している様子。色んな人がいるもんである。


10分程休憩した後、作業再開。もう泥はあまり残っていない。ただ、柱の根元や重なっている部分に枯れたイネ科の葉っぱらしきものがびっしり挟まっている。箒などでそれを払い落とし、かき集める。途中、柱の上を歩いている時に足を踏み外す。あざができただけで済んだが、釘や針金が飛び出しているところだったら危なかった。やはり室内作業の場合、長靴よりも安全靴がオススメである。長靴で八艘飛びは危ない(長靴でなくともよい子はマネしてはいけない)。


結局3時で作業終了。実に2時間足らずである。スコップなどが揃っているかを数え、笑顔の依頼主に「おじゃましました」と挨拶し、迎えに来たバスに乗り込む。すばやい撤収。VCに戻ると高水圧ホースで長靴を洗い、濡れタオルを受け取る。改めて顔を拭く。差し入れのドリンクやお菓子もたくさん置いてあり、「ボランティアから、ボランティアへ」と札が付いている。皆遠慮無しにむさぼる。そして挨拶やら報告会やらあるのかと思いきや、そのまま流れ解散。報告はリーダーがしたのだろうが、始まりも終わりも拍子抜けするほどあっさりである。


やはりVCのスタッフが状況に慣れすぎている。と思った。「あ、泥かきボラ?やりたきゃやってって」・・・というようなノリである。別にボランティアを「お客さん」扱いする必要は無いし、そもそも人に気遣う余裕が無くて当然の状況。また、こちとら「自分のため」に来た身なので、どう扱われようと文句は無い。しかし、全国から人が集まってきてくれている状況を「当たり前」にしてしまうのはマズイんじゃないかな、と。そう思った。



というわけで少々の物足りなさとモヤモヤ感を残して初めての被災地ボラは終了した。次は7月中旬、町の社協が企画する「ボランティアバスパック」に参加する予定である。夜中にバスで出発して、翌日1日作業して、その日のうちに帰るという強行ツアーである。行き先は未定(東松島かな?)。というか企画自体資金が集まってから参加者募集になるので、まだ本当にやるかどうか分からない(自分は仕事柄社協の人と接点があるので直接「予定」を聞いた)。ただ行くとなれば、場所も違うし、半日と1日ではだいぶ違うだろうし、何より単体と団体ではこちらの心構えも、あちらの受け入れ方も違うだろう。その時にならないと分からないが、できればその辺の感想をまた、レポートしようと思う。


ではまた。

被災地ボランティアレポート③現地

一週間経ってしまった。げろん。


夜勤があったからしょうがない。仕様が無いのよ。



さて、6月10日金曜日、ボラ&観光に出発。6時半に家を出て、徒歩で最寄り駅へ。そこから乗り継いで大宮に行き、新幹線「はやて」にば乗車。初一人新幹線(いや、それどころか一人関東脱出が初かも。お坊ちゃまだわ)。1人なので退屈するかと思ったが、はやては速い。あっという間に白河の関を越え東北入り。屋根にブルーシートの民家が増える。まあこれは埼玉でも北の方では結構あったから驚きはしない。10時頃に仙台駅到着。1年2ヶ月振りの仙台である。


仙台に着くとすぐに常磐線に乗り換え。あやうく反対方向の電車に乗りそうになる。パンパンのナップザック背負ってキョロキョロしている姿はいかにも「ボラしに来ました」って感じだったことであろう。


さて、乗り込んだ常磐線、ドア付近に「開」「閉」のボタンがある。乗り降りする人が少ないからセルフなのだ。ド田舎である。仙台仙台言うが、仙台駅から2、3キロ離れると何も無い田舎である。柏みたいな感じと言えば分かる人が自分の知人には多かろう。柏みたいです。…うちの大学、最寄り駅は柏なのに、山ん中だったもんなー。


仙台駅からいくつめかは忘れたが、20分くらいのところの「岩沼」で降りる。小さな駅である。降車時に知的障害者施設の利用者&支援員らしき集団とすれ違う。皆楽しそうな表情。なんとなく「知らない土地に入った時の緊張感」みたいなものが薄らぐ。駅を降りると空が広い。大きな建物が無いというだけではなく、人の気配が少ない。よく考えたら平日の昼間である。住宅しかない所だから静かに決まっている。


駅前の地図を確認して歩き始める。すぐに歩道の一部が割れて陥没したのを見る。そのまたすぐ後に、民家のブロック塀が倒れているのを見る。しかしVCまで見た震災の爪痕はそれのみ。


VCがあるはずの公民館や病院の密集しているエリアに到着。地図では大通り沿いにあったVCが無い。奥さんに電話して家パソで改めて確認してもらうも間違っていない。うろうろしてようやく発見。病院の裏の幼稚園のそのまた陰にある総合福祉センター内の社会福祉協議会がVCをやっていた。センターにはちゃんとVCであることを示す幕が貼ってあったが、付近には「VCこちら→」的な立て看板は一切無かった。そういうものなのだろう。隣にあった仮設住宅もそう。観光地ではないということなのだろう。ちなみに駐車場はかなり停められる様子。


VCに入ると午前の部はとっくに行ってしまっているためか、受付に並んでいる人などはおらず、職員が数人うろうろしているだけ。ボランティアが出入りしていることに慣れすぎているようで、こちらが挨拶するまで目を合わせてもくれない。「受付、ここでいいんですよね?」とこちらから聞き出して受付を済ませる。12時半から説明&マッチングをするという。1時間ほど余裕があるので近くの吉野家で昼食。久々に食って後悔。自販機でポカリを買って体に流し込む。水分は無くなる前に摂っておくべし。


12時半をちょっと過ぎて説明&マッチング。待っている間、廊下ではベテランボラらしき人達が「自分ち的な明け透け感」丸出しでしゃべくっている。ちょっとウザいと思いつつ耳を傾ける。ちょっと興味深い話をしている。


「あそこんちもよ、自分らでできるだろっての。息子はタバコ吸いながら携帯いじってるしよ。俺らが作業してるの見ながらよ。…親父も大工だよ。体力あるよ。自分でできるよあれくらい。誰か言ってやれっての」


ボラも色々いるが、ボラを依頼する側も色々ということらしい。逆に大変な状況にもかかわらず、遠慮して依頼してこない家も多いようで、聞き取りボラというのも重要とのこと。


さて説明が始まるが、説明らしき説明はほとんど無い。15人チームで初参加は自分含めて3名だけということもあり、ボランティアが気を付ける事等が書かれたパンフを「読みましたよね」の一言で片付け、後は装備の確認。自分、読んでなかったが、ホームページで見たのと同じだろうと思い、流した。


で、マッチング。と言っても泥かきをやるということは受付時に確認しているので、行く場所の確認だけ。どこそこの○○さん宅の床下です。バスで行きます。それだけ。あとリーダーとサブリーダーを決めるだけ。と、これは即効で先ほど廊下でしゃべっていたベテランが挙手。そして隣の若者を指差し、「こいつサブ」と勝手に決める。英断である。どうせ自分がやることになるとわかっているから、「話し合い」という無意味な時間をキャンセルしたのだ。


実際リーダーは手馴れていた。ボラ活動をする際、社協職員は一緒に来ない。ボラのみで行動する。バスに乗る際の人数確認やら運転手さんへの挨拶やら全てリーダーがテキパキとやっていく。所見でウザいと思った自分だったが、なるほど、この人はウザいと思われることを怖れていないのだ。すばらしいリーダーである。


バスの中は床も座席もビニールが被せてある。ゴミ袋を広げたものだ。作業帰りに汚れるからだろう。こっちは合羽を履いているものだから、座るとツルツルすべる。ケツを引き締めて踏ん張る。


発車してしばらくすると有料道路があり、それをくぐると一面乾いた田んぼである。ポツポツと民家が見える。瓦礫はほとんど撤去されたようで、たまに流木が落ちていたり、バンパーが土に刺さっていたりしたが、むしろ何も無さ過ぎて異様であった。草木が無い。後から考えると電柱・・・あったかな?


途中サブリーダーが説明してくれる。「向こうに見えるのが南浜中央病院ですよ。孤立してニュースに出まくってた所」


ああ、あれが…。完全に周辺が海になっていた映像を思い出す。と同時にビビる。え、VC出て、まだ5分くらいしか経ってないよ?もうそんな被害ひどかった所に入るの?てことは街の中心部ももう少しでやばかったんじゃん。


病院を見て数分後に依頼宅に到着。大きくも小さくもない普通の2階建ての家である。リーダーが依頼主のおじいちゃんとおばあちゃんに挨拶をする。スコップ等の道具はすでにある。午前、別のチームが作業していたようだ。さて作業開始である。


つづく。(また予定していたより長文になってしまった…)

被災地ボランティアレポート②準備の続き

本題に入る前に、昨日大事なことを書くのを忘れていました。


ボラに行く前にやらなきゃならないこと。


ボランティア保険の加入です。


ボランティア保険には天災型A・Bってのがあって、Aが490円、Bが720円で入れます。当然Bの方が限度額が上です(例えば死亡保険金はA1,400万、B2,000万)。一回入るとその年度の間有効です。


加入は社会福祉協議会で簡単にできます。


実際自分の場合、現地で提示を求められたりはしませんでしたが、ちゃんと入っておきましょう。今のところ大事故は無いようですが、釘を踏んだりして破傷風になった人が数名出ています。




ついでにもう一つ、高速道路と新幹線について。



実はボランティアや被災者は、全てではありませんが、東北道や常磐道の水戸地域が無料になります。


ボランティアの場合、「災害派遣等従事車両証明書」というのが貰えることになっています。


これに関しては期限があったり申請が面倒だったり、とにかく説明が大変なので、国土交通省のページ で確認してください。その上でお役所に直接聞いてみてください。



新幹線に関しては「やまびこ自由席片道きっぷ」というのがあります。


簡単に言うと、東北地方から東京までのきっぷが、約半額で買えます。


一応ボラ帰りの人のためにと言ってますが、証明等はいりません。発券機で普通に買えます。トップ画面の「おとくなきっぷ」というところを押せば出てきます。これもJRのページ で確認してください。




あー、本題は今日中に書けるかな。無理かな。

被災地ボランティアレポート①準備

2年ぶりのブログ更新也。最近はmixiもあまり書かず、Twitterばかり。


ま、それは置いといて。


6月10日(金)、宮城県岩沼市に行ってきました。被災地ボランティアです。


両親が11日に名取(仙台の隣)の仮設住宅に入っている伯父伯母に届け物をするというので、ちょうど金土日と三連休だったこともあり、1日先に行って、ちょっとボラやって次の日合流しようかな・・・とかなんとか考えたのです。


もともとボラに行きたいとは思っていました。しかしなかなか予定が空かなくて・・・というのと、ゴールデンウィーク後にボラの受け入れがどうなるか様子見していたというのがあって、二の足を踏んでいたような感じだったのですが、あらかた情報収集も済んで、まあそろそろ行こうかなというところで両親の話があり、行くことにあいなりまして候。


単身ということで、運転の苦手な自分はすぐさま新幹線の片道チケットを取り(もちろん帰りは親の車に乗っけてもらう)、ついでに仙台で一番綺麗なカプセルホテルも予約し、「まあ新幹線片道分とカプセルホテル代くらいならなんとか」と思っていた矢先に予定変更。


なんと伯母が東京に来ている。伯父も忙しくて会えない。だから両親は行かない。


…って一人ですか? まあ一人はいいけど帰りは? 新幹線代バカになんないすよ?


と憤りつつも、「まあこの際全部寄付だと思えばいいや」と頭を切り替え、「どうせ金使うならとことん使って楽しもう」ということで野球観戦のチケットまで取ったのでした。そう、目的は「楽しもう」です。


正直言って、ボラをやる理由の中に、「被災地のため」とか「親戚がいるから」とかいう思いは、あまりなかったです。99パー自分のためです。


…自分の生まれた土地がどうなってしまったのか、生で見てみたい。


…テレビやネットの映像じゃ実感沸かない。実感を得たい。


…単純に現地の現実を「知らない自分」が歯痒い。国内なのに。


とまあ、一言で言えば好奇心です。野次馬となんら変わりません。


自分は人から見たら「偽善者」でしょうが、自分は反省とか後悔とかはしていません。「ボランティアや福祉の仕事には正義とか自己犠牲とかはいらない」というのが自分の持論です。「善か偽善か」なんて議論も無意味です。ボランティアとは日常であるべきです。友達やお隣さんの引越しを手伝うのに理由や名目が必要でしょうか。ましてや正義など。…今回はそのお隣さんがちょっと遠かっただけです。ボランティアとはそういうものです。




さて前置きを全て言い訳に使ってしまいました。次は準備の話です。


正義はいらなくても、怪我しないための準備、向こうの人達に迷惑を掛けないための準備は必要です。


まずボランティアセンターについてです。自分の場合宮城ですから、宮城県災害ボランティアセンター のページを見ました。ここでボラを受け入れている市町村を見つけます。


そう、受け入れていない所もあるのです。細かく言うと、市内・県内・県外と分けているのですが、震災直後は危なすぎるし、あんまり来られてもさばききれない。駐車場も無い。という理由で県外のボラはGWから受け入れを始めた…という所や、逆に早くからボラいっぱいきて、もう仕事無いからいらない・・・という所まで、状況は様々。「被災地」と一括りにしてはいけないのです。


自分が生まれた仙台と、祖母伯父伯母が被災した名取は、人が集まりやすいということもあって、だいぶ泥かき作業が進んでいる様子でした。ということで他を調べてみたところ、北の方が酷い。人手が欲しいということでした。東松島、気仙沼、南三陸町といったところですね。


しかし行くのが大変なんですね。電車で行く前提だと、仙台から4時間5時間6時間。元々本数少ない上に、湾岸の方はまだ止まってます。あきらめました。


ほんとは被害の大きい所にこそ行きたかったのですが、単身なので無理できません。


そこで色々調べた結果、名取の隣の岩沼が「まだまだボラ欲しい」とのこと。しかもここは午前の部と午後の部に分けてやっているので、新幹線で行ったその日に午後だけできる。これはよい。

(実は他の所はだいたい9時集合なのです。そうすると東京とか大宮とかからだと、朝一の新幹線に乗っても仙台以外は無理なんですね。新幹線で行く人は参考にしてください)



場所は決まりました。次は装備です。もちろん泥かき用の装備です。


これも各ボランティアセンター(以下VC)のページに必ず載っているのですが、以下の物が必需とされています。


・帽子かヘルメット

・ゴーグル(粉塵対策用)

・マスク(粉塵対策用)

・タオル

・名札

・ゴム手袋

・長袖&ジャージ下

・合羽上下

・長靴(できたら釘対策のぶち抜き防止板を入れる)

・ウエストポーチ(貴重品・医薬品・梅干や塩飴等)

・水筒(手や目を洗えるよう、ポカリ等より水)


取り合えずこれさえあればなんとかなります。岩沼VCではゴーグルやマスクは貸し出し用がありましたが、はなから当てにするのはどうかと思うので持っていった方がいいと思います。


自分はホームセンターでだいたい揃えました。

ゴーグル・マスク・ゴム手・合羽は、それぞれ100~500円で買いました。

長靴は持っていました。無い人は友達にでも借りればいいと思います。安全靴があればその方がいいかもしれません。場所にもよりますが、泥が浅かったり乾いていたりすると、長靴は動きずらいだけなので。(ただ「洗いやすい」というのは大きな利点かも)

梅干は苦手なので塩飴を買いましたが、作業時間が短かったので舐めませんでした。

同じく作業時間が短いので、水もペットボトルで済みました。

ヘルメットは「まだ瓦礫の中で泥すくってる」って所なら必要かもしれませんが、現段階でそんな危ない所を素人に任せるVCは、あまりないと思います。

名札はガムテープにマジックで充分です。


こんな感じで簡単に安く揃えられます。ホームセンターすごいです。これに加えて車で行く人は、スコップ等も持っていくといいと思います。VCによっては「麻袋も持ってきてほしい」なんて言ってますが、単身で行く場合はそこまで考えなくてもいいと思います。


自分はこれらと着替えをナップザック一つにまとめました。1泊だとそれで済みます。



さて次は現地レポートですが、今日はここまでにします。(言い訳で時間取っちまった…)

mixiのみに

・最近はパソコンよりも携帯でブログを見る人が多い。


・携帯だとmixiからここに直で来れない。


・ここ見てる人はどうせ少ない。


・・・以上の理由からしばらくここは利用せず、mixiで書きます。

夏ばて

福祉の人、只今充電中。-090725_233933.jpg
に、ならないように、我が家はこれで乗り切った。去年は。

夏ばて防止には、スポーツドリンクと西瓜がよい。後者は高いので誰かくれるのを待つしかないが、前者はカロリーゼロのものも出て助かる。

ただ、ゼロのやつはお腹がゆるくなる。OPPの自分には無視出来ない問題である。飲み過ぎはいかん。
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