易術家のノウゼンです。こんばんは。


雨水とはよく言ったもので、ベランダに出してる和蘭の芽が膨らんで来ました。

気候不順とはいうものの、大筋の天の巡行に狂いはありません。


やや前回のお話しの続きです。

いま私の周りの人達に共通する、変化期特有の不安定さについて、少しだけ私なりの意見を出しておこうかなと思ったからです。


また いつもの如く例え話で行きます。

私の学生時代に一人 頭抜けて 博覧強記の男がおりました。政治 経済 軍事 歴史から宗教まで何から何まで、そいつに語らせたら止まらないという人物でした。


あるとき、私が彼に何故にそんなに色んな事に好奇心があるのか、と聞きただしたことがありました。すると、意外なことに、彼は何も興味はないのだが、自分が知らないこと理解出来ないことがあると思うと不安になるのだ、と答えました。


何故に答えが知りたいか、それは以後考えなくて済むから、という訳です。


耳学問というやつですね。耳年増。

彼のいう政局予想は誰か権威筋が言ってた意見、彼が予想した軍事行動も誰かが語った話。でしょう。


また別の例え話。

かなり昔の話ですが、タレントの森公美子さんが「バナナダイエット」なるものを流行らせたことがありました。


毎朝バナナだけを食べる簡単な習慣だけで、それまで何をやっても効果が無かったのに、短期間で劇的に体重を落とす事が出来た、というアレです。


この直後日本中のスーパーの果物コーナーからバナナが一時期消えたのだそうです。


そして ある時ある研究者が、その食習慣を続けた場合のリスクを発表した途端、ブームは空気の抜けた風船のように消えて行きました。熱狂した人達はどこに行ったのでしょう。


前回もお話ししましたが、占い上の知識だろうが何だろうが、知識を仕入れるのは良いですが、問題はその後の自分の内側での発酵期間です。


一つの「技法」を学んで実際に使ってみると、大抵の場合さほどのスカッとした手応えはありません。ここが大事なところです。ここで安易に他人に別の「答え」を聞いては勿体ないです。


安易に他人の答えで納得すると、先ほどの博覧強記の男と同じ話になります。


借り物の答えで、自分の中の不安という豊かさに蓋をする事になるからです。


公式が自分の中で発酵して、自分の言葉となり、自分の思想となって、自由自在に自分仕様の技術となれば、あとは それを如何に他に順応させるかだけです。


今年は雷火豊。黄昏時のぼんやりした明るさの中に潜む危うさへの警告です。


固定観念が強く、他人の言葉で武装してると、本当は自分にとって黒だったものが白に見えたり、本当は白だったものが黒に見えたりするかもです。

そういう際どい夕暮れ時です。


先に挙げた博覧強記の男から一枚の写真がlineで送られて来ました。学生時代に通った東京目白の店らしいのですが、私は全く記憶もありませんし、何のノスタルジーも感じませんでした。そう伝えると、彼はお前はやりたいこと新鮮なことが今でもあるから懐かしさが無いのだと言われました。確かに彼の外付けの知識は続かなかったようです。



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