ひとつ前に戻る 目次 はじめから読む

 

絢子は、歳をとって、幾分小さく見える、

養父を見つめた。

 

冷静だった。

 

頭の中は、真っ新で、

 

「ここで会ったが、百年目!」

 

と叫びたくなるような、復讐心は、

もう、どこにもなかった。

 

 

 

 

口をついて、自然に出てきたのは、

 

「ピアノを、あなたに教わった事、

 感謝しています。ありがとうございます」

 

だった。

 

絢子を凝視していた、養父の、

血が通っていないような、冷たい目が、

痛めつけられ、のたうち回るしか無かった、

絢子の、昔の記憶を呼び覚ます。

 

羽をもがれた、瀕死の鳥に、

とどめを刺すかのように、

養父の言葉が続いた。

 

「馬鹿な事をしたもんだよ。

 お前に、ピアノを教えるなんて。

 虫ケラ同然に、捨てられてたくせに、

 いい気になりやがって」

 

引き裂かれるような、痛みが、

絢子の胸に、広がっていく。

 

「わかっていないようだから、

 教えてやろう。

 

 お前の素性なんて、

 世の中の人間は、みーんな、

 お見通しなんだよ。

 

 ゴロツキは、死んでも、ゴロツキだ」

 

にじりよってきた養父は、

指を、絢子の方に伸ばしてきた。

 

いたわりなど、何ひとつ、

持ち合わせていないような、指で、

ブラウス越しに、絢子の首すじを、

なぞった。

 

「売女の娘は、生まれつきの売女だ」

 

絢子の首すじに、指を這わせる、

養父の、ゾッとするような冷たい目が、

絢子の体を、舐めるように動く。

 

叫び声を上げるよりも、早く、

絢子の体が、動いた。

 

「あなたを、訴えてもいいのよ」

 

冷ややかに言葉を返した時、

絢子が手にしていた物は、

出掛けに、何も考えずに、

鞄に詰め込んでいた、

ピンクのワンピースだ。

 

養父が、絢子を虐待した、証拠の。

 

絢子は、お腹の底から感じていた。

自分は、守られていると。

 

夜の底を、のたうち回るような、

流離い続ける日々の中で、絢子は、

幾つもの、小さな灯りを、見つけた。

 

人の心に、灯り続ける、暖かな灯りを、

 

小さな灯りが織り重なり、祈りになり、

絢子を包み込んで、絢子の行く先を、

いつも、照らしてくれていたのを。

 

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