脳死肝臓移植 (海外)中国にて
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中国での検査

入院後毎日のように検査が繰り返された。


8月6日 心電図・胸レントゲン

      夜熱が上がる


8月7日 熱が下がる


8月9日 肺のエコー・MRI・心臓エコー


等他にも検査はあり、その殆どがG県M病院でしなければいけないと言われた検査であった。


中国の検査器械は古く、時間もかかり、検査によっては父の体に負担がかかるものもあった。

もちろん検査の合間もずっと太い針で24時間点滴状態だった。


父の腕は点滴で腫れて腕だけでなく手の甲などありとあらゆる所から点滴がなされた。


そして11日にドナーが出るとの知らせがあり、10日インフォームドコンセプトが行われた。

さらに手術に先立ち入金を依頼され手術費用1180万円を社長の口座に振り込んだ。


しかし手術当日手術はできないと医者から告げられた。

理由は肺炎にかかっているからだとのこと。

肺のレントゲン写真を見せられて説明を受けるが、肺にもやがかかってるだけでそれが肺炎なのかどうか私たちにはわからない。


父には肺炎の状態はいっこうに見られないし、それでもいいから手術をお願いした。

それが父の希望だったからだ。


しかし、向こうの医者は100%に近い成功率でないと手術はしないとのことで肺炎が治るまで手術はできないとのことだった。


点滴の痛みと手術ができないことで父はかなりショックを受けた。

中国での治療

上海についた私たちを支援センターの人と向こうの病院のスタッフが救急車で待ってくれていた。

早速病院に向かい入院の手続きをした。


病室はHPで見た近代的な病室とは事なり、戦前戦後の(見たことはないけど)ような古くさい病室であった。


聞けばHPの病室は医師の詰め所とは離れているため、腎臓移植のように緊急を要さない患者が入院するところで、こちらの古くさい病室は肝臓の医師の詰め所が近くすぐに対処できるので重病人(肝臓移植患者)はこちらになるとのことだった。


支援センターでは上海ともう一カ所病院があり、医師や手術の点ではもう一カ所の方がいいのだが、いかんせん部屋が古くさいというので(父は汚いのを嫌うので)上海を選んだのだ。

それなのにこの部屋なのでちょっと後悔した。

ただ、もう一カ所の方は最初からCIU(集中治療室)に入院となり一旦入院すると家族は会えなくなってしまうので、父にどんな治療がされるのかわからないという不安もあったのでやめたのだ。


そして入院当日から太い針で点滴が行われた。

この点滴はほぼ1日中絶え間なく続けられた。


それまで(沖縄から戻ってきて以来)ほとんど薬を極力控える治療をしていただけに、急にこのように薬をバンバン体内に入れるのは、肝臓にかなりの負担であった。


ただ、これも薬を使って肝臓以外の臓器をいい状態にして(肝臓はどのみち入れ替えるものなので悪くなってもいいという考えである)、手術を行うという方針の下だった。


しかし、最終的にはこの点滴が父の余命を奪ったのである。


退院そして中国へ

父はM病院で検査を受けていた。

しかし、検査の数が多くてなかなか話は進まなかった。


そんな折、兄がインターネットで中国国際臓器移植支援センターのHPを見つけた。

早速私たちはそこに連絡をとってみた。


他にも何社か同じように中国での移植ができる所を見つけたが、他の所はドナーの出現が遅かったり(2週間から1か月くらいかかると言われた)して、M病院より早く手術できそうな所は中国国際臓器移植センターしかなかった。


ここは以前にも書いたが死刑囚の臓器を提供するものであり、中国の死刑執行が日常的に行われているということでもある。

更に中国はB型が一番多く(逆にO型は少ない)、父はB型だったので1週間もしないうちにすぐにドナーは出てくるとのことだった。

そして検査の事なども聞くと、M病院ほどの検査も必要ないでしょうとのことだった。


今思えば、移植センターの社長であったがこと医療に関しては殆ど知識がなく、向こうの中国の先生に聞いたことをそのまま伝えるというような形であった。

医者ならいざ知らず、どのような検査が残り必要かなど社長にはわかるはずもなかった。


(結局、後日中国に行ってM病院で必要とされる検査を受けさせられる羽目になった。)


そして中国にいれば(父の体調に問題がなければ)すぐにも手術が受けられる、日本で待っていて中国でドナーが出てからでは遅いということを言われて、私たちは迷った。


そして父にこの話をするとこんなM病院でちんたら検査するのは嫌だ、すぐに支援センターで手術を受けたいというので、8月1日父はM病院を退院してパスポートを至急取り8月5日には中国に行った。


日にちを見てわかると思うが、父がM病院に入院したのは7月20日、退院が8月1日と父はかなり手術を焦っていた。

今思えばそんなに焦らずM病院で体調を整えた上で(手術の直前まで日本にいて)手術だけ中国で受けた方が結果として良かったのではと思われる。


それほどまでに中国での手術までの治療はひどかったのである。


父はある意味死に急いでしまったのかもしれない。



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