ついに北朝鮮がミサイル?発射しましたね。

この週末、ようやくのお花見日和で浮かれる日本ですが、何かしらの西側(ロ・中以外と言う意味)のイベントに合わせ事を起こす北朝鮮がまさか花見を狙ったわけはないでしょうが、いまだに第2次大戦、朝鮮戦争の1950年前後の時代を生きているとしか見えない、どう考えても理屈に合わない論理を押し通し続けているこの国の恐ろしさを感じます(南北朝鮮の戦争は、「休戦」中であって、「終戦」ではない、要するにいまも戦時状態)。

1970年代に旧ソ連の空軍将校が当時最新鋭戦闘機「ミグ25」に乗って突然函館に飛来、アメリカに亡命するという事件がありました。
その将校がアメリカに渡ってからの手記を読んだことがあります。

アメリカ内のスーパーマーケットを案内された彼は、「こんなに商品があるわけがない、何かしらの目的で作られた演出用のセットだろう」だと思ったそうです。
当時冷戦状態で、西側包囲網により自由に貿易ができないソ連は今の北朝鮮と同じく極端に資源が枯渇していたのですが、この彼の感想からソ連の国民は、「その状態が普通なのだと思い込まされていた」ということと、「日常的に政府の『偽装』が行われていた」ということが分かります。

将軍様を国家の父と仰ぐ北朝鮮といえども、今やネットや衛星放送から得られる情報を完全に統制することは不可能なはずで、かの国の軍人や政治家の中にも、外の世界の現状を認識し、今の体制に疑問を抱く勢力がいるはずで、それを完全に封じ込むことために相当恐ろしいことをやっていると思わざるを得ません。

イギリスの作家、ジョージ・オーウェルの小説「1984」(早川文庫でいまでも買えます)、一種の近未来小説なのですが、歴史の書き換え、言葉のすり替えを頻繁に繰り返す全体主義国家を痛烈に批判しています。小説なのでデフォルメされていますが、実際に同じようなことが、旧ソ連では行われていた事実が明らかになっています。
過去の話ではなく、注意していると、現代の先進国の政治家も結構言葉のすり替えはやっていることに気が付きます。

第二次世界大戦の敗戦により、日本は全体主義から解放されましたが、あまりに政治に無関心であると、政府や官僚の暴挙に気が付かない恐れがあります。

そういえば、「小沢献金事件」は、検察による一種の「226事件」と言う見方をする人もいるようですが…。


ではまた。