5月はお久しぶりの学友さんとたくさん再会できた月でした。

昔を懐かしみつつ、将来に向けてもたくさん刺激をいただきました。

 

4月から新入学の皆さまも、この辺境のブログを覗いてくださったようで。

ご入学まことにおめでとうございます桜

 

 

私が通信制大学で学んでいた期間は

 

(1)本当にひとりで進めていた時期

(2)慶友会に所属して会合にも出ていた時期

(3)慶友会には所属しているが勉強時間優先で会合には出ない時期

(4)慶友会で知り合った方きっかけでブログ繋がりができて

 このアメブロを開設して交流させていただいた時期(今も)

 

とざっくりと分けることができますが、先輩方のブログを読んだり、

同志との交流や情報交換が履修の推進力になりました。

 

今考えるとおそろしいことですが、少しセンシティブなテーマについても

SNS上で忌憚なく色々議論させてもらったのも良い思い出です。

(決しておすすめしません驚き

(論点の抽象性や学問的追究を理解してくれる皆さんだったので良かった…)

(倫理学、社会学系はそれぞれに傷や強い思い入れがあることも多いので

 今なら対面で言葉を選びつつ、信頼できる相手としか話さないと思います。

 でも当時はそんな突っ込んだ話を出来る人が身近にいなかったー)

 

そんな学友さんと最近食べたパフェ

 

哲学、あるいは倫理学や社会学の面白いところは、ある現象について議論するとき、

自分の過去の人生なり、理想なり、良心なり、「自分」の視座が影響するので

自分がどの立場にいて何の影響を受けているのか自覚/表明する必要があるし、

相手がどうなのか、そしてその立場から見える世界がどうなのか知ろうとします。

 

どんなに想像力を働かせても、自分の立ち位置からは見えない部分を

違う場所に立ち違う経験を持つ他者が、リアリティーを持って語ってくれて

そこで議論を交わすことで、解像度が高まり、立体的にものごとを捉えられるというか。

 

しかし、以前、ある市井の子育て指南を読んでいたら

「なんで○○したの?」と母親(あなた)が訊いている時、その実は質問ではなく

非難である、と書いてありました。「なんで?」は責める意味でしかない、と。

いやいやいやいやちがうでしょ、私はちがうよ、心底からの質問だよ、と思いました。

 

例えば私が小学生の時、同級生の男子がジャングルジムの一番上から飛び降りて骨折し、

「なんで飛び降りた?????」

と本っっ当に疑問で謎でした。折れるじゃん。折れる確率の方が高いじゃん。

 

それは私に利害関係がないので別の話、と言われるなら、たとえば私の息子が

同じことをしたとき、それこそ育児の「何で!?」なのです。正気か??

まあ、非難が混じることが全くないとまでは言いませんが

本人にもあまりメリットないんじゃ、と思うようなことをするからには、

そういう力学が働く要因があるからで、そこに関心があるから「何で」なのです。

(世の中にも「なぜそんなことを」と思うような事件がたくさんありますね…)

 

ごくたまに、すごくトゲのある言い方をする人に出会うことがあり、

本人に「もっとアサーティブな言い方したほうが良いんじゃ…」と言ってみようか

迷ったりしますが、「何で」の理由次第では、思うことも変わるので。

病気とかもありますしね…。

言い換えれば、理由がわからない状態では評価(感想)は保留、ということかなあ。

 

そんなわけで、私としては「何で」は純度としてはほぼ疑問と質問ですが

相手によって過度に長い言い訳?というか変な反応、に感じることが過去あって

それがこの「「なんで?」は責める意味でしかない」という考え方なのだなと。

 

議論上の「なぜ○○と思うのですか」はただちに否定しているわけではないし

「○○とのことですが、その前の□□をふまえると、むしろ△△△なのでは?」は

証明に対する疑義ではあるけど、相手の考え方や推論能力の否定まではしていない

のです。嫌いだから反論するとか、そんなこと全く無くて。

(哲学の先生が、哲学界において遠慮のない反論はむしろ相手への最大の敬意と)

 

私が育った環境、学生生活や職場と、長年そういう文化でそれが自然でしたが

歳を重ね世界が広がり、色々な人と出会うなかで、前述の本のように

「何で?は否定、非難」何なら「敵意」と受け取る方とも出会うようになり。

(「現代倫理学の諸問題」のテキストには、日本人は議論慣れしていない、

 批判を否定と混同して拒否反応を示しがち的なことが書いてあったので

 そう受け取る方がメジャーな反応なのかも)

 

それを知った今は、できる限り気をつけているのですが、

過去には知らず知らず相手を不快にさせてしまったことが多々あるのだろうな…

 

闊達な議論でお互いの理解を高め合い、より洗練された知見を社会に還元するのが大学という場な気がする

 

話が遠回りしましたが、何が言いたいかと言いますと、

少数でも、純粋な、忌憚のない議論ができる学友さんたちと出会えて良かった。

大学で誰かと共に学ぶ学問的意義を享受できて、人生の彩りも増しました。

 

私は次男産後、次男が0歳のうちに今の家に引っ越してきて、家で過ごすか、

新しい環境で初対面の方といわゆる「当たり障りのないその場限りの話」を

する日々だったので、大学の勉強やレポート、学友さんとの活気ある議論は

素の自分を出せて、頭をフル回転して、刺激的で本当に楽しかったです。

 

今思うと、その頃、ちょっと色々切り込みすぎたのではと反省もしていますが

その分ストレートに議論を交わせて、考えを深める機会になりました。

そんな当時から今まで、長く仲良くしてくださっている学友さんに感謝です。

 

そして、今日の長々と書いているこのブログもそうですが、

拙いながらに、日頃漠然と思っていることを取り出して、言葉にしてみて、

主張というより独白に近いのだけれど、それを受け取ってくれる方がいる、

それだけでも、とてもありがたいです。

 

あなたも大切な学友さんです。いやですか、それはごめんなさい。昇天

 

でもほんと、読んでくださるだけで、励みになって、考えること、書くこと

を続けられて、私の心のなかの「対話」する誰か、になってくれました。

 

たまに、視界に入った時に読んだり読まなかったり、で十分です。

いつもありがとうございます!

 

八角棟のパフェ。むかーーし夏スクでご一緒した方と偶然の再会、からの約束して再会。

 

次回はもっと簡潔に書きますにっこり