納豆の日 | noumatosouのブログ

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こんにちは^ - ^

7月10日は「納豆の日」です。 納豆の日は、「なっ(7)とう(10)」の語呂合わせからきてます。



見たらわかるって?
-_-bすいません。


私の朝食には必ず欠かせません。

胃腸の調子も良く、かなりお気に入りの食べ物ですね(^^)

納豆の誕生を皆さん、知っていますか?

由来 その1 : 古代偶然 説

縄文時代の終わり頃には、中国大陸から稲の作り方が伝わり、米や大豆の栽培が普及した弥生時代の頃には、すでに納豆のような食べ物はあったらしいという説があります。

納豆が生まれたのは弥生時代と推測されています。

縄文時代の終わり頃には中国大陸から稲の作り方が伝わり、米や大豆の栽培が普及し、弥生時代に引き継がれています。

当時の人たちの主食は、ナッツ系 ( クリ ・ トチ ・ クルミ ・ ドングリ ) や穀物 ( アワ ・ ヒエ ) 、 そしてイモ類 ( ヤマイモ ・ ナガイモ ・ サトイモ ) などで、そのほかにも魚類や山菜、キノコなどを食べていたようです。

その頃は、既に野菜の煮焚きなどが行われていました。

その当時の住まいには、ワラで編んだ敷物が使われていましたが、ある時、その敷物の中に煮豆 ( 大豆 ) が落ち、日時が経って発酵したのか煮豆が納豆と化していました。
それを見つけた住人がその香ばしい匂いに釣られて口に入れてみると意外に美味しく、以後、煮豆をワラに包んで発酵させる料理が人々に広まっていきました。

古代偶然 説での納豆の誕生です。


由来 その2 : 聖徳太子 説

聖徳太子が愛馬にエサの煮豆を与えていたところ、量が多くて余ってしまいました。

捨ててしまうのももったいないと考えた太子は余った煮豆をワラに包んで保存します。
数日経ち、ワラを開けてみた太子はびっくり。
煮豆が糸を引いています。
不思議に思いながらも、その糸引き煮豆を食べてみた太子は二度びっくり。
なんとも美味しい豆になっていました。

そこで太子はそれを人々に教え、以後、煮豆をワラに包んで発酵させる料理が広まっていきました。
 
聖徳太子 説での納豆の誕生です。


聖徳太子 「 笑堂 」 の伝説

滋賀県湖東町の 「 笑堂 」 で、聖徳太子がワラ苞納豆の製法を伝授。

聖徳太子の業績などを考え合わせると、糸引き納豆よりむしろ寺納豆が太子の発明であり、後に糸引きのそれとダブって納豆伝説とされたのではないか、とも云われているようです。


由来 その3 : 八幡太郎義家 ( 源義家 ) 説

八幡太郎義家 という、平安時代後期の武将が奥州に遠征 ・ 出兵した地で戦に臨んだ際、想定外の長期戦に食糧が不足してしまい、地元の農民たちに大至急の食糧供出を命じました。

その当時、ちょうど大量に収穫していた大豆を煮て、それが冷めるのも待たずにワラに包んで義家軍に差し出しました。

それから数日後、煮豆を保存しておいた蔵から香ばしい匂いが漂い始めます。
不思議に思った義家の家来がワラを開いてみると煮豆が糸を引いています。
試しに口に入れてみると、これまでなかった味わいです。

そこで家来はその糸の引いた煮豆を義家の食膳に出すと、その美味さに義家も大喜び。

その話は煮豆を差し出した地元民にも伝えられ、 「 納豆 」 という新しい料理は、義家の活躍談とともに広く伝播されていくことになりました。

なお、この義家を始まりとする伝承は各地にあり、 「 水戸納豆 」 の地元である茨城県に伝わるものでは、義家が戦遠征で常陸の地に立ち寄った際の話となっています。
馬に乗せた荷の中のワラ束に変色した煮豆を発見した義家。
「 もったいない 」 と食べてみたところ、たいそう美味しかったというのがその内容です。 

八幡太郎義家 説での納豆の誕生です。


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色々な節があるんですね。

ただ、最初に食べた人が

エライ👏
腹が減っててしょうがなかった?

そう思います。


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