平安時代はのんびりという固定観念を大河が潰してくれました。平安時代は災害多発と社寺への祈願に明け暮れた時代です。ただし、当時の朝廷や庶民は祈祷を心底信じていましたから、今日の価値観で見るのは、誤解を招いてしまいます。兼家は実に悪辣に描かれています。確かにそうなんですね。


私の修士論文は、花山天皇の子孫白川伯王家の成立でしたから、花山天皇御出家が、まさか大河になるとは思いませんでした。


皇位継承は、日本の歴史を見る限り、常に綱渡りで、何時もかなり緊張したものでした。神鏡も村上天皇の時代に罹災し、その後も数回火災にあい、後一条天皇の時代には、砂しか残っていませんでした。草薙の剣も源平合戦で海中に沈み、その時波間に浮かんだ璽も四つの赤い玉であったことが、内侍によって確認されています。つまり勾玉ではなかったのです。



後に3種の神器と言われるれるものは、どうも古代からのものではなかったと、考えられます。さらに南北朝時代に双方で3種の神器を持っていると主張したため、益々わからなくなりました。現在宮中の賢所では、南北朝の神器が祀られていますが、それに紐が巻かれているそうで、それの交換を行った人の話しによると、神器を納めた唐櫃は大変重量があったとのことです。


いや、3種の神器は、どうなってしまったのでしょうか⁉️