一遍上人は信州小田切の里(長野県佐久市臼田)において
この地にあった、おじさんのお墓の前で、
南無阿弥陀仏と唱えながら、喜びで踊りだしました。
一遍以前の、浄土真宗では信心
つまり信じるだけで往生できると説きました。
しかし、一遍はさらにすすめて
阿弥陀仏の本願力を信じる信じない関わらず
南無阿弥陀仏と唱えるだけで、極楽往生できると説きました。
仏の本願と救いの力は無限大で
すでに、万民は救われているというのです。
つまり、人は、何も考えず
唯々南無阿弥陀仏と唱えるだけでよい
のです。