一遍上人は、伊予の豪族である河野家の次男として誕生した。
10歳の時、母を亡くし、父の命を受けて仏門に入る。
信濃の善光寺にて、二河白道(にがびやくどう)図を写し、決心をかためる。
※二河白道図とは、旅人、二つの河(火の河、水の河)、
一本の白い道、阿弥陀如来、釈迦如来の姿と極楽往生を描いた図である。
故郷において、念仏(南無阿弥陀佛)三昧となり、悟りを得て、
遊行(ゆぎょう)の旅に出る。
極楽の東門の中心である四天王寺(大阪)を訪れ、本尊に願を立てた。
余計な考えを捨て唯々「南無阿弥陀佛」と声に出して、唱えることが大切と教えた。
熊野本宮大社(和歌山)に参拝し、神勅を受ける。
私たちは、南無阿弥陀仏と称えることによって、極楽浄土に往生するのではなく、
阿弥陀如来が悟りを得たときに、すでに全ての人々の往生は決定している。
との神様の声を聴く。
その後、信濃の佐久の小田切の里では、嬉しさと喜びのあまり踊りだし、
南無阿弥陀仏と踊りながら念仏する「踊り念仏」を始める。
51歳のとき、神戸の真光寺において、人々に見守られながらこの世を去る。
すべての迷いを捨て、
「南無阿弥陀仏」一筋の道を歩む
「捨聖(すてひじり)」と呼ばれる。