昨年からアメブロで 大切な猫の事を綴ってる方々と少しだけ知り合う事が出来始めました。
 
 
 
私のブログは元々が旦那サンの交通事故で始めたから  いつも3ニャンズの記事ではありませんが…
 
 
 
昨年の4月には始めて知り合った『マナさん』という方のひなちゃんがリンパ腫で虹の橋を渡りました。
 
 
昨年の12月には『ぷりこさん』の大切なニャー君が虹の橋を渡りました。
 
 
そして昨日の14時  『ネコパンチキックさん』の大切なニャオリンちゃんが虹の橋を渡りました。
 
 
~ぱーちゃんを回想してます~
 
 
 
1997年の4月27日、知人の家でシャムMixの♂のぱーちゃんは産まれました。
 
 
「猫でも飼ってみん?」
 
 
飼った事ないし その当時は独身、以前記事にしたように家族ナシ。
 
 
「見てみたい。先ずは見に行くね。」
 
 
生後1週間、4兄弟で まるでモグラみたいでしたね~。
 
 
 
ぱーちゃんは何故か1匹だけ離れた箱の隅でモゴモゴしてたなぁ。
 
 
 
瞬間でした、この仔が欲しい‼
 
 
 
始めての猫で不安はあったけど悩むより可愛くて可愛くて。
 
 
 
それから2週間後、始めての我が子となったぱーちゃん。
 
 
 
名前の由来は私がゴルフにはまってたからゴルフのparからとりました。
 
 
 
それはそれは毎日が楽しくて幸せで一人ぼっちの私の心を埋めてくれたぱーちゃん。
 
 
 
その当時、デジカメなんか持って無くて 唯一 使い捨てカメラで撮ったぱーちゃんの写真。
 
 
 
 
 
 
 
 
お目がオレンジ色で写真を撮るといつもお目が宇宙人のように光りました。
 
 
 
2001年の元旦、ぱーちゃんが突然 吐いて吐いてソファの下に隠れたのがぱーちゃんの闘病の始まりでした。
 
 
 
必死で県内の動物病院に電話かけまくりましたが…やっと一軒だけ緊急で診てくれましたが 「 んー、家の設備では検査も詳しくは出来ないけど、触診ではそんなにどこかが悪いという事は無さそう。吐気止めの注射と栄養缶詰を出しとくから。」
 
 
 
その頃の私は朝10時には店に入り帰宅は夜中の3時くらい、時には朝7時頃まで仕事、仮眠してシャワーしてまた仕事。
 
 
 
寂しく不安な想いをさせてたけど 仕事の責任などで休む勇気も無かったなぁ。
 
 
 
元旦から一週間後の夜中、たまたま仕事を早上がりして帰ったらぱーちゃんの様子が急変してて 目を見開いて口開けて舌も出てて 「はぁはぁはぁはぁ」って苦しんでました。
 
 
どうしていいかもわからないまま何とか朝までぱーちゃんは頑張ってくれたから朝一番で有名な病院に駆け込みました。
 
 
 
病名は『急性食道拡張症』
 
 
 
「原因不明、シャム猫によくあるらしい。手術も無理、お水・流動食を毎日シリンジで少しずつ飲ませその後は立たせてゆっくり流しこんでやるしかないですが…」
 
 
 
先生に仕事の現状や私が一人だという事を説明して安定するまで入院させていただきました。
 
 
 
2001年2月1日、ぱーちゃんは帰ってきました。
 
 
「腎臓・肝臓の数値が急変、残り一週間前後がこの仔の残された時間だと思います。お家でゆっくりさせてあげたほうがいいと思います」
 
 
 
それでも私は仕事を休めず…いや、今思えば休む勇気が無かっただけ。
 
 
 
できるだけは時間を作りぱーちゃんの側に居ましたというより居たかった。
 
 
 
帰って来てから 私がいる間はずっと私のお腹の上で「はぁはぁ」と少し苦しそうな呼吸しながら私の泣き顔をじっと見てたよね、お母さんはぱーちゃんに謝る事と もう苦しかったら頑張らなくてもいいからとか  お母さんの仔になってよかったのかな?とか  ずっとずっとぱーちゃんはお母さんの大切な仔だからとか撫でてお話して泣いて泣いてする以外は何もしてやれなかったね。
 
 
 
2001年2月8日、仕事から慌てて帰りドアを開けたら『ゴトッ』という音…
 
 
 
パーちゃんは亡くなってました。
 
 
 
後悔だけが残りました。
 
 
2日間 離れられず 硬くなったぱーちゃんを撫でながらずっと泣きました。
 
 
 
動物霊園なんて知らなくて 私が何かあると行く海に流しました。
 
 
流すのに何度も戻って来て、私もやっぱ離れられず一度は海に飛び込みました。
 
 
 
でも、このまま連れて帰るのは可哀想だしと再度流しました。
 
 
今度はゆっくりゆっくり沖に行き、ぱーちゃんの身体とお別れしました。
 
 
私の全てでした。
大好きとか可愛いとかそんな言葉では説明出来ない気持ち。
 
 
 
休む勇気があれば・別の病院に行ってたら等とにかく毎日毎日自分を責めて寝ずにぱーちゃんの海に行き謝り後悔しました。
 
 
2年間くらい…ペットロス?本当に毎日海に行っては泣いてました。
 
 
 
それが…2年が過ぎて2003年4月20日、石手川の河原を何気に歩いていたら  コンビニ袋が動いてる。
 
 
小さい鳴き声、開けるの怖いでも置いとくのも…
 
 
 
ぱーちゃんを死なせてからもう二度と猫も動物も飼わないって決めてたけど…
 
 
 
袋の中にはへその緒・胎盤らしきものがついたままのぐちゃぐちゃに濡れた2匹の仔猫。ムースと雛です。
 
 
 
この仔達に救われました。
 
 
 
そして私のチャリかごにケーキの箱で棄てられてたひゅうが君。
 
 
ぱーちゃんの生まれ変わり?仕草も声もそっくり。
 
 
 
 
ぱーちゃんの話を今まで誰にも話した事がありません。
 
 
旦那サンにも話してないんだ。
 
 
何だろう⁇きっとまだまだ自分を許せてないんだと思います。
 
 
今でもいろんなログインパスワードはぱーちゃんの名前と誕生日。
 
 
 
お空に還った ひなちゃん・ニャー君・ニャオリンちゃん、もしも ぱーちゃんに会ったなら仲良くしてあげてね。
 
 
それとも、ひゅうが君が生まれ変わりならぱーちゃんはもうお空には居ないのかな?
 
 
 
3ニャンズには少しでも後悔しないように大切に大切にしてあげたいと思います。
 
 
 
ぱーちゃん、あなたの妹と弟だよ。
 
あれ?弟?いや、ぱーちゃん?