今朝のNHKニュースでおおい町の住民の方が福島を見ずに大飯原発のことは考えられないだろうと言って、福島を視察したレポートを放映していました。

この方は大飯原発から5kmのところで民宿を営んでおり、原発作業員の宿泊が生活の糧となっています。しかし、福島の現状を見ずに判断はできないと単身飯舘村や南相馬市などを見に来ていました。彼の言葉は「おおい町の住民に抜け落ちていることは福島の現状を見ることなく判断しようとしていることだ」と仰っていました。その通りだと思います。町長、町議、住民数百人でツアーでも組んで警戒区域、飯舘村、南相馬、福島市などを視察するべきです。その視察団でもう一度大飯原発の再稼働のリスクを評価すべきです。

被災者となった私としては今、日本中どこへ行っても同じ被災を受ける可能性を感じており、低線量被曝に関しては既に可能性ではなく、どこに行ってもそのリスク下にあると言っていいでしょう。そのような状態をいつまでも続けるのか、そしてまた事故を起こして大きな犠牲を払うのか。それともここでこのリスクを切り離し、(切り離しても廃棄物というとてつもなく大きい最低限のリスクはつづく)経済的リスクを背負ってそのリスク回避のための努力を一から始めるのか。これは国民的決意が必要なことです。

ゆでガエルという話しがあります。 

原発依存で今の生活を維持することに執着することは、ゆっくりと温度の上昇する鍋の中で気づかぬうちにゆでガエルになると言うことです。経済的危機に瀕するリスクを負うことはカエルが熱い湯に飛び込むようなものです。カエルは熱さを感じて、鍋から飛び出すでしょう。

さて、我々はゆでガエルになるか、それとも鍋から飛び出す勇気を持つかです。

今の政治家と官僚、政府、財界、の人間は炉の中のカエルです。

原子力ムラという炉の外へ出たこともなければ、外をのぞく勇気のかけらももっていないのです。

おおい町の人のように一人でも勇気を持って現実を見てもらいたいものです。彼はこうも言っていました。

自分のわがままで、自分の糧を得るためだけに原発を稼働させることはできない。と