こんにちは
法蔵菩薩の建てられた48の願いの
14番目は
以下のような願いです。
第十四願 声聞無量願
設我得佛・國中聲聞・有能計量・下至三千・大千世界・聲聞緣覺・於百千劫・悉共計挍・知其數者・不取正覺
たとひわれ仏を得たらんに、国中の声聞、よく計量ありて、下三千大千世界の声聞・縁覚、百千劫においてことごとくともに計校して、その数を知しるに至らば正覚を取らじ。
この前の12・13番目の願いでは
仏様の徳が無量であることを願われています。
無量でなければならぬと言われているのかも知れません。
そこでこの14願で仏様の話しを聞きたいと
のぞむ人がやっと現れた。
大体十願までは人天の望みです。
天は人が望みうる最高の境地ですので
人天というて人であることに変わりはありません。
大抵はここ(フツーに人の欲)で留まる。
ですがここはからさらに
仏様の話しを聞いて
人天を超えた境地を目指そう
と願う人々が登場するのですね。
声聞・縁覚と言われる人々です。
一般に大乗仏教と言われるものに於いては
声聞・縁覚というのは
めっちゃ嫌われているようです。
というのも
この人達は最高の悟りを得るため
仏様の話しを聞こうというのであって
彼らにとって仏様は仏様ではないのです。
究極の悟りに達した誰かであろう
とみているのです。
そしてその話しを聞いて
あわよくばその上をいこうとしている。
そんな根性だから
決して仏様にはなれません、
というのです。
でもこの14願。
法蔵菩薩の願う浄土は
声聞・縁覚こそウェルカムです。
だって人天の憂いを越える(出世)
の願いのスタートですからね。
実にこの浄土には
声聞・縁覚の想いを越える
声聞・縁覚がいる。
自分勝手な人であろうと
決して孤独にならぬ世界を
法蔵菩薩は願われているのです。
……
ご承知の様に、僕が勝手に思ってることなんで
しょーもないこと言ってるな
ってところかと思います。
では、また。