如来大悲の恩徳は

 身を粉にしても報ずべし

 師主知識の恩徳も

 骨を砕きても謝すべし

 

 

ある方はまた次のように聞かれる

 

(「身を粉にして」とか 「骨をくだきても」とか、 その通りに受け取るとちょっと怖いですね。でも、その言葉は、苦しみをかかえながら生きている私たちの姿と考えることができます。私たちは、悲しいにとやつらいことから目 をそらして、楽しいことばかり選んで生活するわけにはいきません。苦しみや 悲しみとどう向 き合って、どう生きていったらいいかということが、この歌の中に込められています。阿弥陀さまの教えに出遇い、教えに聴いていくことが「報ずること」「謝す」ことです。逃げようとしても逃げられない苦しみや悲しみから目をそらすことなく、阿弥陀さまの教えを聴いて、一生懸命生きていきたいという希望、その教えに出遇わせてもらってありがとうございます、という感謝が込められています。 )