お釈迦さまは、今からおよそ二千五百年前に、北インドの釈迦族の王子として生まれました。名前をゴータマ・シッダールタといいました。王子として何不自由のない日々を送られていましたが、あるとき、生まれたものはみな歳をとり、病気になって死んでしまうことを知ります。そこで、その悲しみや苦しみをのり越えるために二十九歳のときに城を出て出家し、修行者となったのです。そして六年の苦行の後、菩提樹の下でさとりを開かれ、仏陀(仏・目覚めた人)になられました。

 阿弥陀如来のことを、阿弥陀さまと呼んでいますが、歴史上の人物ではありません。そのお姿は、「いつでも、どこでも、どんな人も必ず苦悩から救う」という“誓い・願い”が形をとったものなのです。色も形もないことから「私たちにわかるように表現されたお姿を阿弥陀さまと呼んでいるのです。

 今の私たちにまで伝わっている経典(お経)は、お釈迦さまがお説きになった言葉を、後にお弟子の方々がまとめられたものです。

 法要やご法事の場でそのお経の言葉を聞くということは「お釈迦さまの説法の場にいるということなのです。そして、阿弥陀如来のはたらき,つまり人間の苦悩を超える智慧をいただくのです。

 そのようなことからも「お釈迦さまは教えを説かれる方という意味で「教主」と言い、また、私たちを救うことを誓っておられる阿弥陀如来を「救主」と言います。

 必ず救うと誓われている救主である阿弥陀如来ヘの帰依を、教主であるお釈迦さまは私たちにすすめてくださっているのです。浄土真宗では、このことを「二尊の教え」と言われます。

 

「浄土真宗 仏教・仏事のハテナ?」(東本願寺出版)より