28.高槻
1601年_ワイシャツ
17世紀_チンドン屋
1601年、マテオ=リツチが北京でカトリツク教の布教を始めた。
西洋史で学んだ宗教改革の余波がこんなところに打ち寄せてきた。
1517年 ルターの宗教改革(独)_アマさん
1534年 イエズス会の成立(スペイン)_ステッキ
宗教改革で蒲手を受けたカトリツク教のイエズス会(ジェスイット教団)宣教師たちは、勢力挽回の地をアジアに求めた。マテオリッチは1582年広東に到達、1601年(ワイシャツ)には北京に入リ、明の神宗万暦帝に謁見し、北京にカトリック教会を建てることを許可された。マテオ=リッチは、利瑪竇という中国名を名のり、死ぬまで(1610)北京に滞在してイエズス会の伝導活動の足場を作った。
我々は、高槻にマテオ=リッチの建てた教会の古ぼけた姿を発見するだろう。発見できなければ想像すればよい。ちなみに、リッチの布教はたいヘんだった。特有の文化を誇る明の支配層にキリスト教が食い込むのはむずかしい。それで、リッチはワイシャツ姿でチンドン屋(17世紀)を繰り出してキリスト教の宣云ビラをまいたのだ。宣伝ビラはききめがなかったが、ワイシヤツ姿のチンドン屋の珍しさが万暦帝のお気に召Lたのだった。