一 勧修寺村の道徳、明応二年正月一日に御前へまゐりたるに 、蓮如上人仰せられ候ふ。道徳はいくつになるぞ。 道徳念仏申さるべし。自力の念仏といふは、念仏おほく申して仏にまゐらせ、この申したる功徳にて仏のたすけたまはんずるやうにおもうてとなふるなり。他力といふは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあづかるなり。そののち念仏申すは、御たすけありたるありがたさありがたさと思ふこころをよろこびて、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すばかりなり。されば他力とは他のちからといふこころなり。この一念、臨終までとほりて往生するなりと仰せ候ふなり。
〔訳〕
勧修寺村の道徳が、明応二年の元日、
蓮如上人のもとへ新年のご挨拶にうかがったところ、
上人は、「 道徳は今年でいくつになったのか。
道徳よ、念仏申しなさい。
念仏といっても自力と他力とがある。
自力の念仏というのは、念仏を数多く称えて
仏に差しあげ、その称えた功徳によって
仏が救ってくださるように思って称えるのである。
他力というのは、弥陀におまかせする信心が
おこるそのとき、ただちにお救いいただくのであり、
その上で申す他力の念仏は、お救いいただいたことを、
ありがたいことだ、ありがたいことだと喜んで、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すばかり
なのである。
このようなわけで、他力というのは他の力、
如来の本願のはたらきという意味である。