一 明応六年 、四月十六日、御上洛にて、その日、御開山聖人の御影の正本 、あつがみ一枚に、御みずからの御筆にて御座候うとて 、上様、御手に御ひろげそうらいて、みなにおがませたまえり。「この正本、まことに、宿善 なくては、拝見もうさぬことなり」と、おおせそうろう。[蓮如上人御一代記聞書(26)]
明応6年4月16日に、蓮如上人は堺より山科へ御上りになり、その日、親鸞聖人の御影(安城の御影)の原本を取り出され、一枚の厚紙に包まれていたその御影を「この上下に書いてある賛文は親鸞聖人の御真筆であらせらるる」と示されて、手ずから御広げになられ、一同のものにご覧にならせられました。そして、「この御影は、誠に宿善がなくては拝見させていただけないことである」と仰せになりました。
<メモ>
現実生活に於ける生活態度は明解でなければならぬ。
なにを選ぶか何を捨てるかをはっきりとさせなければならない。
態度を常に保留とし、あいまいなまま生きてゆく手もあろうが
それはそれでなにか重苦しい寂しい人生になるだろう。
私はきっと
寂しい生き方をしている。
それでも 呼びつづけてくださる声が聞こえる。