最近、毎日のようにテレビ等で話題にのぼっているこの一節、「保育園落ちた。日本死ね!!」。 確かにいささか仰々しく、暴力的にも感じる表現ではあるが、やはり、それだけ怒っているということだろう。 個人のブログが発端となったこの問題。それが瞬く間に広がり、世の困っている多くのママ様方を立ち上がらせた。 私ももちろん、このブログの意見には賛同するし、共感する。と、いうのも、私が正に、幼児を抱えたシングルファーザーだからである。 そして私は会社の経営者でもある。 といっても、会社そのものは存亡の危機にあり、余裕のある生活をしているわけでもないので、高級なベビーシッターを雇うこともなければ、人に甘えるわけにもいかない。 しかし、私の場合、そんな状況でも立場上、子供を連れて仕事ができるのだ。 私がいいたいことはなにかといえば、既存の政党、政治家に圧倒的な現状打破を求めるよりは、多種多様な子育て方法、環境をなにかしらの形で生み出し、それにまつわる規制緩和を速やかに執り行うように求める方が現実的だし、スタビリティがで、そして広範囲にこの問題をある程度のレベルで解決できるのではないかと考えるからである。要するに保育園にかわり、子を預かってもらえるなにかをつくればよい。 確かに、保育士資格を持つ方々に面倒をみてもらえるほうがなにかと安心であろう。必要な教育もかわってしてくれることが期待できる。 私も当初は、できる限りいわゆる’普通の環境’を子供に与えてあげたいと奔走し、非常に悩んだ。自分の幼少期をフィードバックし、同じことを普通にさせたいと半ば無意識的に思い込んでいた。 しかし、私の幼少期は約35年前。当時と今では時代が違うことをふと考えたのだ。「なにも幼稚園、保育園に行かせなくとも、自分なりの愛情を注ぎ、今ときの4歳児に最低限必要な情報、教育をあたえられればなんら問題はないのでは?」と考えると、ずいぶんと気持ちも軽くなり、息子と24時間一緒にいられることを非常に幸せに、これまで以上に楽しく感じ始めた。 私の会社は小売店舗を2店舗運営しており、最近はだいたい小さい方の店で息子と店番をすることが多い。 息子も、「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」を元気でいえるようになり、みようみまねで、準備や後片付けも手伝おうとする。 大抵はipadをみているが、それに飽きれば、店の前にある木に登って遊んでいる。 この状況をこのまま続けるわけにもいかないが、そういう家庭もあります。
念を押すと、そうできるのも、私が経営者という立場上、どちらかというと、時間、場所をある程度選べることが大前提としてある。やはり、活躍したいお母様やお父様は、仕事の間、どこかに子供を預けなければならない。前置きがながくなったが、ここは、町、市区町村自治体単位で、これまた時事問題になぅているような空き家などを改装。、時間に余裕のある高齢者が集い、そこに子供もいる。土地の高校や大学のカリキュラムにそこでの訪問、滞在を組み込みスケジュール管理をする。 ケガや病気に備えられるインフラ等は、発達したITを最大限に活用。高齢者の方や高校生、大学生にある種の役割を分担するようにし、管理者が常時1人はいるようにする。その管理者はできれば、緊急公募で採用する地方公務員であるべきだが、足りない部分はボランティアを募ってもよいだろう。 私の想像の範囲でいうと、35年前とはハードもソフトも進化している。必要な情報、モノ、コトを集め細分化し、整理をすれば、まったく不可能なことではないと思うし、国会審議を待つよりは、地方自治体の権限で速やかにやればいい。 それが何かしら法に触れるというならば、それは後で国と真っ向から戦えばよいのではないだろうか? 時代に合ったなにかを共有するのは難しい。人それぞれ考えが違うからだ。それならば、新しいものをつくればよいのだ。保育園に拘っていたら、しらないうちに、私の子は成人していそうな気がする…。