Not So Soon

 Not So Soon

 母が、ステージ4の卵巣癌になりました。
オーストラリアのゴールドコーストでそんな母を追いかけるドキュメンタリー「Not So Soon」と研究に平行して、フィールドノート代わりに記録をつづるブログです。
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私が研究をしている大学には、道路を挟んで
大学病院が隣接している。
実は2ヶ月ほど前に、その大学病院で血液検査を受けた。
こちらでは、家族にガンになりやすい遺伝子を持つ者が
いれば、無料で遺伝子の専門医のカウンセリングと
血液検査を受けることができる。
母は、BRCA1(ブラッカ・ワン、breast cancer gene 1の略)
という遺伝子を持っている。
私の体は、当然母と父の遺伝子の組み合わせからできており、
私がその遺伝子を受け継いでいる可能性は50%だ。

私も、母と同じガンになりやすい遺伝子を
受けついているのだろうか。
それはやはり、ずっと常に頭の隅にこびりついて、離れない
心配事のひとつだった。

乳ガン、卵巣ガンなどになりやすい遺伝子にはBRCA1と
BRCA2があることが知られている。正確に言えば、ガンに
なりやすい遺伝子を持っているというよりは、BRCA1
またはBRCA2ミューテーションがある、つまりBRCAという
ガンを抑制するたんぱく質を作る遺伝子がない
ために、ガンになりやすいということらしい。

母は昨年、私と妹のために、高額な血液検査を受けてくれた。
いくらガン患者だとはいえ、母自身の両親や兄にはガン患者が
いなかったので、遺伝リスクが高いとは認められず、
検査費用にはこちらの健康保険が適用されなかった。

「私自身は、もう今さらガンの遺伝子があろうがなかろうが
どうでも良いけど、私にその遺伝子があれば、あなたたちが
無料で検査を受けられるから。私がいなくなっちゃったら
もう私の遺伝子は検査できなくなるし、生きてるうちに
やっておくわね」そう言って、あの病院嫌いの母が
自分から必要のない検査をしておいてくれたのだった。
そして、母にはBRCA1ミューテンションが
あることが分かった。



すぐに、私も検査に行くよう医師に勧められた。
もちろん、すぐにでも行くつもりだった……
けれど結局、重い腰を上げるまでに1年もかかってしまった。
それほど自分では怖いとか、嫌だという気持ちは
自覚していなかったのに。
たくさんの仕事の締め切りが一度に迫ってきたり、
いくら言っても子どもたちがちっとも言うことを
聞いてくれないことの方が、よほど毎日のストレス
としては大きいくらいだった。
それでも、ついなんとなく検査を後回しにしてしまっていた。


1年後、ようやく心を決めて受けた検査は、あっけないほど
簡単なものだった。
カウンセリングしてくれた遺伝子スペシャリストは、
優しく丁寧に、時間をかけて遺伝子のことや
万が一BRCA1ミューテーションだった場合に
受けることができる予防的外科手術(卵巣&卵管切除ほか)
について説明してくれたし、検査もちょっと
採血して、それで終わりだった。

そして、今朝。検査結果が出たというので、大学のオフィスで
お茶を飲んでから、散歩気分でのんびりと歩いて道路を渡り、
また大学病院へ行ってきた。
ゴールドコーストの冬らしく、からっと晴れて
雲ひとつない、気持ちのいい朝だった。

そして結果は……

私は、母のBRCA1ミューテーションを遺伝していなかった。
遺伝子の専門医にそう告げられたとたん、
不覚にも涙が出て止まらなくなった。
私は、それほどまでに母と同じようにガンになることを
恐れていたのか……
自分でも、驚くほどだった。


そして同時に、奇妙なことに、罪悪感のような
気持ちが芽生えてきた。
家族があれほどガンで苦しんでいるのに、私だけは
ガンになりやすい遺伝子を持っていないのだ。


遺伝子の専門医は、そんな私に対して、
まるで心理学のカウンセラーのように質問や会話を
しながら、ひとつひとつ私の気持ちをほぐして
いってくれた。
ご主人は今日検査結果が出ることを知ってるの?
お母さんには伝える?
妹さんには?

「事故や天災で生き残った人たちは、ほかの人が亡く
なったのに自分だけが生きていると罪悪感を感じること
が多くて、それはサバイバーズ・ギルトと呼ばれているの。
それと似たような気持ちなのかもしれないわね。
お母さんには、素直にそういう気持ちを話してみたら?」


心のケアにまで気を配ってくれた遺伝子スペシャリストの
おかげで、やがて少しずつ自分の気持ちが整理されていった。
私はきっと、母にすぐ報告する。ちょうど今日の午後に、
日本食材店で購入した小豆と抹茶のミルフィーユがあるから
食べにいらっしゃいと言われていたので、そこで話をしよう。
夫にも、電話で今すぐ伝えるのではなく、今夜話をしよう。

けれど、妹には面と向かって伝えることはできそうにない。
優しい妹は、きっと心からこのニュースを
喜んでくれると思う。
でも、だからこそ、そんな妹が不憫で悲しくてたまらない。
妹は、まだ幼い子どもたちを抱えて、つい最近2度目の
乳がんを患ったばかりだ。
優しく誰からも愛される妹が、いったい何をしたと
いうのだろう?
私のほうが、よほど日ごろから天罰を与えられても
仕方のないようなことを積み重ねているのに。


私の子どもたちには、もうちょっと大きくなったら
しっかりと説明しよう。検査結果も大切に保存しておこう。
私が遺伝子を受け継いでいないということは、
将来子どもたちもBRCA1については心配する必要が
ないということだ。それだけは、本当に本当に
本当に本当に本当に良かった!!

この遺伝情報はほかの医療情報とは違い、何十年も
病院で保存されるそうだ。将来、子どもたちが何らかの
理由で問い合わせれば、親族ならデータを照会
できるように同意書にも署名してある。



しかし今こうやって書いていても、まだ涙が出てくる。
自分の気持ちに正面から向き合うというのは、なんと
苦しい作業なんだろう(笑)
これまで、取材やドキュメンタリー製作で多くの方々の
心の奥底を見せてきてもらったのだから、自分自身にも
きちんと向き合わなければフェアじゃないと
自分に言い聞かせつつ……。
物を作り出すために一番大事なのは、自分のことを
見つめる目だとも理解しつつ……。
あーしんど!(笑)













Not So Soonの写真展が、もうすぐシドニーで開かれます。
デポー2というウォータールーにあるギャラリーで5月3日から
5月14日までの2週間。

これまでの写真、ビデオ、このブログからのテキストも抜粋して
ぎゅっと一ヶ所にまとめた展示になります。

シドニーで毎年開催されている「ヘッド・オン・フォト・フェスティバル」
の一環としての写真展です。
お近くにお住まいの方、ゴールデンウィークにシドニーに滞在
される方はどうぞお立ち寄りくださいませ。

この時期、シドニーではこのヘッド・オンの写真祭のために
数十箇所での写真展が開催され、しかも今年はオーストラリア
最大の芸術の祭典、シドニー・ビエンナーレも同時期に開催され
ています。写真やアートに興味のある人は、ぜひぜひ
この時期のシドニーで、あちこちのギャラリーめぐりを楽しんでみて
ください。


Not So Soon by Yoko Lance
■会場:Depot II, 2 Danks St Waterloo Sydney NSW
■日時:5月3日~14日(火~土11AM~6PM、日・月定休)
■料金:無料




・フェイスブックのイベントページ(英語)
https://www.facebook.com/events/455399107992433/
・フェイスブックのNot So Soonページ(英語)
https://www.facebook.com/YokoLance.NotSoSoon
・Yoko Lance ウェブサイトの写真展ページ
http://www.yokolance.com.au/portfolio/up-coming-event-sydney-exhibition-may-3-14-2016




現在、準備のまっただなかです。
初日は、2週間後。毎日急ピッチで作業しています。
先週撮ったばかりの新しい写真も、どーんと大きく印刷して登場予定。


皆様のご来場を心より楽しみにお待ちしております!





星の綺麗な夜でした.....

陣痛が本格的になり、大きなおなかを抱えて.....

5歩か6歩 歩くのがやっと.....

休み休み、年末の冷え込む夜中に
貴方のお父さんに抱えられながら歩く産院までの長い道のり.....

苦しむ私を支えながらもなす術もなく、さりとてうろたえるでもなく.....
やけに冷静な相方さんを恨みつつ.....

ふと空を見上げると 満天の星空でした.....

当時まだマイカーはありませんでした。

その日の午後、陣痛が始まったようなので一度産院に行くと 

初産だから時間がかかりますよ
もう少し自宅で待機していて下さい


と言われ、返されてしまったのです.....

やっとの事で病院の玄関まで辿り着き、もう動けない私.....

するとなんと.....
就寝中であったであろうお医者様、
身重の私を病室まで お姫様抱っこ して下さったのですよ!

お姫様抱っこ は長い人生の中でその時の一度だけ、
後にも先にもありゃしない.....

じっくりと味わえなかったのは残念なり.....

ぎりぎりまで我慢していたせいか、
分娩室に入ってからは全て順調、短時間で生まれ出てきてくれました。

五体満足、ありがたや.....

髪も黒々とした 天使ちゃん でした。

二十歳で結婚、二十一歳での出産。
世間知らずのまだまだ子供だったこの私を お母さん にしてくれました。

愛しくて愛しくて.....

起きている時はずっと抱っこしたりあやしたり.....

寝ている時はずっと寝顔を見ていました.....


その貴方が いつの間にか 3人の母親になっているのですよね.....

貴方の誕生日が近づく度に思いだすのは

師走の 多摩丘陵の 満天の星空 です.....