小さな頃を振り返ると、両親からは親なりの愛情をたっぷり注いでもらって育ったと感じています。それでも、「本当はもうちょっとこうして欲しかったな」「あんな風に接してくれたら嬉しかったのに」という思いは、大人になった今でも私の中に残っていました。
やがて自分が親になり、子育てをする立場になりました。
あの頃「こうして欲しかった」と感じていたことを思い出しながら、できる限り我が子に寄り添おうと日々奮闘しています。
けれど、面白いもので、子供には子供の意志や感じ方があります。「自分なりの理想の親」を目指して接していても、子どもから見れば「もっとこうして欲しい!」というリクエストがやっぱり出てくるんですよね。
親の思う愛と、子の感じる愛。
その間には、いつの時代も少しだけズレがあるのかもしれません。
そんなことを考えていたとき、ふと夫の実家のことを思いました。
義理のご両親とは物理的に少し離れた場所に住んでいるため、やり取りはたまの電話や、数年に一度会う程度です。でも、この「程よい距離感」の中に、いつもじんわりとした温かい愛情を感じています。
特に夏になると、義実家から美味しそうな桃などの旬の果物が届きます。
箱を開けた瞬間に広がる甘い香りと一緒に、遠くから私たちを気遣ってくれる温もりが伝わってきて、胸がギュッと温かくなります。
抱きしめたり言葉で伝えたりすることだけが愛情ではなくて、離れていても相手を想うこと、果物ひとつに気持ちを託すことも、立派な愛情の形なんだなと実感します。
親の世代から自分へ、そして自分から我が子へ。
世代や距離が変われば、愛情の表現の仕方も変わっていく。
届かない部分に不器用さを感じながらも、私たちはそうやって色とりどりの愛をリレーしているのかもしれません。
今年の夏も届いた甘い桃を味わいながら、それぞれの「愛のカタチ」に感謝したくなりました。