興徳寺の昔々の水について | 奥能登の魅力発見!!~石川県輪島市を中心に~

興徳寺の昔々の水について

興徳寺というところは、昭和35年ころまでは水がない集落でした。

 水はどうしたのか??

長沢と新保という集落のところに、高杉用水という用水がありました。

その水を興徳寺の集落まで流していたのです。

長沢と新保の用水を興徳寺の集落の人にまで流すには、タダでは流せません。

 そのため、興徳寺の集落の中に、長沢と新保の飛び地を作り、興徳寺の中に長沢と新保があるのだから、水を流しましょうということです。





さらに、水を誘導させるときに、「ねこだ」という藁で編んだしめ縄のような10Mのものもあれば5Mのものもあるものをあてて、その上に土を盛って水をせき止めて水の方向を変えました。



こんなことはここではなくても昔はどこでもあったようです。

しかし、私は勉強不足のためかそんなことは今日初めて知りました。



今ではポンプで水をあげているのでその飛び地は解消されました。



(写真はたぶん高杉用水だと思われます。)