住吉神社からちょっと歩く 

佃小橋
佃小橋は、隅田川からの入江となった水路に架かっています。

佃島は震災や戦災を免れたので、
江戸の風情を感じさせる町並みを残していますが、
高層ビルが建ち、
新旧混在する風景となっています。

「佃島」は、摂津国佃村(現大阪府)から、
江戸幕府の意向で移住した漁夫達が干拓して築いた島です。
白魚漁などを生業にした人々が住み漁師町ができました。
故郷の名にちなんで
「佃島」と命名したそうです。

当時の佃島は、今よりもずっと狭く
この佃小橋が架かっている先の部分しかなかったそうです。
明治中期からどんどん埋め立てられていきました。

住吉神社の祭りで使う大幟(おおのぼり)の柱が
腐食を防止するため水中に沈めて保管されています。

於咲稲荷波除稲荷神社

ベンチなどが置かれているちょっとした公園を通り過ぎ、
堀に沿って歩くと堀沿いにあります。

鳥居を共有して、波除稲荷神社(左)と於咲稲荷神社(右)が鎮座しています。

波除稲荷神社には
「さし石」と刻印された3個の力石が置かれています。
佃島では若い漁師の間で
力競べで石を持ち上げることが流行っていたようです。
力石を「さし石」と呼び、
持ち上げることを「さす」とか「あげる」と呼んで、
関東大震災のころまで、その習慣は続いていました。

波除稲荷神社の近くに
佃天台地蔵尊
という看板を見つけた

狭い路地に入って行く

右手奥に佃天台地蔵尊がありました
手前には大きい木の幹
屋根を貫いています(笑)

お参りするのも一人ずつ
入れ替わり入って・・・
すっごく狭いところです

江戸時代から佃の子ども達を水難から守ってきたといわれ、
人々の信仰を集めてきました。

路地を通り抜けると
赤いのぼり旗が・・・
あら、
こちらが入口だったかな ヾ(@^(∞)^@)ノ



佃小橋
佃小橋は、隅田川からの入江となった水路に架かっています。

佃島は震災や戦災を免れたので、
江戸の風情を感じさせる町並みを残していますが、
高層ビルが建ち、
新旧混在する風景となっています。

「佃島」は、摂津国佃村(現大阪府)から、
江戸幕府の意向で移住した漁夫達が干拓して築いた島です。
白魚漁などを生業にした人々が住み漁師町ができました。
故郷の名にちなんで
「佃島」と命名したそうです。

当時の佃島は、今よりもずっと狭く
この佃小橋が架かっている先の部分しかなかったそうです。
明治中期からどんどん埋め立てられていきました。

住吉神社の祭りで使う大幟(おおのぼり)の柱が
腐食を防止するため水中に沈めて保管されています。

於咲稲荷波除稲荷神社

ベンチなどが置かれているちょっとした公園を通り過ぎ、
堀に沿って歩くと堀沿いにあります。

鳥居を共有して、波除稲荷神社(左)と於咲稲荷神社(右)が鎮座しています。

波除稲荷神社には
「さし石」と刻印された3個の力石が置かれています。
佃島では若い漁師の間で
力競べで石を持ち上げることが流行っていたようです。
力石を「さし石」と呼び、
持ち上げることを「さす」とか「あげる」と呼んで、
関東大震災のころまで、その習慣は続いていました。

波除稲荷神社の近くに
佃天台地蔵尊
という看板を見つけた

狭い路地に入って行く

右手奥に佃天台地蔵尊がありました
手前には大きい木の幹

屋根を貫いています(笑)

お参りするのも一人ずつ
入れ替わり入って・・・
すっごく狭いところです

江戸時代から佃の子ども達を水難から守ってきたといわれ、
人々の信仰を集めてきました。

路地を通り抜けると
赤いのぼり旗が・・・
あら、
こちらが入口だったかな ヾ(@^(∞)^@)ノ

