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○○学校の発祥の地という石碑が多く見られました

学校が沢山あったんですね

私が見つけた石碑をご紹介します


notodesignのブログ-工学院大学学園発祥

① 工学院大学学園発祥の地

1887(明治20)年に この地築地に創設された「工手学校」に始まる。
1928(昭和3)年に 新宿区に移転, 戦後 1949(昭和24)年に 工学院大学となった。


notodesignのブログ-蘭学事始めの地

notodesignのブログ-蘭学事始めの地2

② 蘭学事始めの地 右の碑

豊前中津藩奥平家の下屋敷のあったところです。
藩医で蘭学者の前野良沢(1723年~1803年)が杉田玄白らと共に、
オランダ語の医書ターヘル・アナトミアを初めて翻訳し、
「解体新書」五巻を完成しました。


notodesignのブログ-慶應義塾発祥の地

③ 慶應義塾発祥の地 左の碑

安政5年(1858)の冬、福澤諭吉先生が
中津藩奥平家の中屋敷内に開いた蘭学塾に由来します。
これが慶應義塾の前身となりました。


天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

という名言ですが、これはアメリカ合衆国の独立宣言の引用だとか・・・(ノ゚ο゚)ノ



notodesignのブログ-立教学院発祥の地

④ 立教学院発祥の地

1874(明治7)年 築地の外国人居留地に開かれた
「立教学校」という名の私塾がルーツ。
その後 「立教大学校」「立教専修学校」「立教中学校」などの名称を経る。
1907(明治40)年には「立教大学」を開設し、
1918(大正7)年に 現在地(豊島区池袋)に移転した。



notodesignのブログ-女子学院発祥の地

⑤ 女子学院発祥の地


1870(明治3)年に 築地居留地に開設された 「A六番女学校」がルーツ。
1890(明治23)年には 他の女学校と合併して、現在の校舎のある千代田区一番町に移転し、
校名も「女子学院」となった。


notodesignのブログ-立教女学院校舎跡

⑥ 立教女学院 築地居留地校舎跡記念碑

明治7年(1874年)にウィリアムズ主教が開いた私塾「立教学校」が、現在の立教小、中、高、大学の各学校の前身となっています。


notodesignのブログ-立教女学院校舎跡2

当時の校舎



notodesignのブログ-暁星学園発祥の地

⑦ 暁星学園発祥の地

1888(明治21)年 カトリック修道会・マリア会の神父等が小規模の学校を設立
この地 京橋区築地明石町の築地司教座聖堂(現カトリック築地教会)で開校
同年、麹町区元薗町に移転。「暁星学校」と命名
1890(明治23)年 麹町区富士見(現在地)に移転


notodesignのブログ-暁星学園発祥の地2

本を開いたモニュメント


notodesignのブログ-東京中学校発祥の地

⑧ 東京中学校発祥の地(関東学院)

1895(明治28)年 米国バプテスト伝道協会が設立


notodesignのブログ-東京中学校発祥の地2


当時の校舎



notodesignのブログ-雙葉学園発祥の地

⑨ 雙葉学園発祥の地

1875(明治8)年 この地に「築地語学校」を開校したのが起源


notodesignのブログ-青山学院記念の地

⑩ 青山学院記念の地

米国メソジスト監督教会の宣教師により創立された三つの学校を源流としている。
「海岸女学校」は、トーラ・E・スクーンメーカーによって創立された源流の一つ
「女子小学校」(1874年麻布に開校)を経てこの地で大きく発展したもので、
明治の女子教育に多大な足跡を残すとともに青山学院の礎となった。


notodesignのブログ-青山学院記念の地2

当時の校舎



notodesignのブログ-女子聖学院発祥の地

⑪ 女子聖学院発祥の地

1905(明治38)年にアメリカから来日した
プロテスタント教会の婦人宣教師によって設立された。



notodesignのブログ-明治学院発祥の地2

⑫ 明治学院発祥の地

1877年(明治10年) 東京一致神学校が発祥。


そして・・・

この場所が・・・


notodesignのブログ-明治学院発祥の地

なんと・・・


                           つづく



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