ルーツをたどるまち歩きの続きです

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ルーツをたどり築地・明石町を歩く ~歴史がある町だった~ の

⑤ アメリカ公使館跡 に戻ります


まっすぐ道を歩き、最初の交差点
聖路加タワー前です

notodesignのブログ-指紋研究発祥

① ヘンリー・フォールズ住居の跡

ヘンリー・フォールズはスコットランド生まれのイギリス人で
医師であり宣教師でした。
明治7年に来日し、この築地居留地に住居を構えて布教活動を始めました。

彼の日本での活動の目的は布教のほかに、医療がありました。
しかし、日本人が自由に出入りできない外国人居留地ではそれができません。

そこで、築地川を隔てた南小田原町に民家を一軒借り、
来日の翌年に診療所を開いたのが築地病院です。

彼の名を世界中に広めたのは指紋の研究です。
日本では明治44年から、このフォールズの指紋法を採用して犯罪防止に活用しています。


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聖路加病院と聖路加レジデンスを結んでいる
「平和の橋」


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その橋の下、聖路加病院の前


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② 築地居留地跡

宣教師・医師・教師などの知識人が居住して
教会や学校などを多く開き、
ここ築地は日本の近代文化に大きな影響を与えたところ

洋風建築が立ち並び異国情緒あふれる街だったようですね( ̄▽+ ̄*)



notodesignのブログ-トイスラー

③ トイスラー記念館

ヨーロッパの山荘を思わせる建物

詳しくは後でブログにアップします。しばらくお待ちください _(._.)_



notodesignのブログ-トイスラー2

素敵な小道を歩きます


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聖路加看護大があり、右に曲がると・・・


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④ 芥川龍之介の生誕の地

明治16年(1883)頃、この付近に牧場があり
芥川龍之介はこの牧場の経営者・新原敏三の長男として生まれました。
家庭の事情で母の長兄に引き取られて、現在の領国に移り芥川家の養子になります。


「芥川龍之介の生誕の地」からちょっと歩くと・・・


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⑤ 浅野内匠頭邸跡

忠臣蔵で名高い播州赤穂の藩主・浅野内匠頭長矩の屋敷がここにあった 目

びっくりですよね ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


notodesignのブログ-明石小

建てたばかりの真新しい学校


notodesignのブログ-明石小2

右が明石小の校章
左が明石幼稚園の園章

もしかしたら、疎開せずにこの明石に住んでいたら
母もこの幼稚園、小学校に通っていたかもしれないですね (=⌒▽⌒=)

そういえば、遊んだ小学校って
この明石小学校のことではないかしら はてなマーク

明石小学校は
明治41年 開校
大正13年 関東大震災のため校舎全部焼失
大正14年 関東大震災の復興事業の一環として建築される

建築学会から重要文化財相当と指定されましたが、
取り壊されてしまいました。残念ですね(´・ω・`)


明石小学校の前にあるのが・・・

notodesignのブログ-カトリック築地教会

⑥ カトリック築地教会

築地居留地の面影を伝える貴重な建物です。
平成11年、東京都の歴史的建造物として選定されました。


教会内に入ることができましたので
詳しくは後でブログにアップします。


notodesignのブログ-石

⑦ 関ヶ原石材株式会社の前に飾られている石

ただ気になったのでパチリ カメラ

大理石かしらはてなマーク



notodesignのブログ-ガス街灯

⑧ ガス街灯柱

明石小学校の隣のマンション前にあります


notodesignのブログ-ガス街灯2

notodesignのブログ-ガス街灯3

ガス灯の明かり・・・
祖父、祖母、母もこの明かりの下を歩いたのでしょうかねぇ


notodesignのブログ-佃島渡

⑨ 佃島渡船場跡


notodesignのブログ-佃島渡2

母が佃島に行くのにポンポン船に乗って渡ったというのは
ここなのではないかしらはてなマーク


notodesignのブログ-暁橋12

⑩ 暁橋

昔は築地川が流れていたそうです


notodesignのブログ-暁橋

空襲による建物の瓦礫処理の埋め立てのため
昭和45年(1970)に姿を消しました。

今は「築地川公園」となってて
暁橋の欄干の大部分が残されており
かつての川筋の跡を伝えています

この橋も祖父、祖母、母は渡ったのかしらはてなマーク



医療・文化・歴史のある明石町ですね (* ̄Oノ ̄*)


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