方違神社に行ってきました。
摂津・河内・和泉三国の境にある方位のない清地とされ、方除祈願で有名。
鳥居をくぐろうとするけど、次々に車が入って来てタイミングよく行かないと入れないぐらいでした。
隣りには古墳がありました。
反正天皇陵古墳は、古墳時代の5世紀中頃に造られたとされる 古墳
崇神天皇5年に疫病が大流行し、多くの民が死亡しました。天皇は同8年12月(紀元前90年)勅願により物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を茅渟の石津原に遣わせ須佐之男神を祀らせ給うたところ、疫病は途絶え五穀は豊穣となったといい、これが方違神社創祀の起源とされています。
創祀より時を経て、神功皇后は朝鮮半島に出兵し新羅・高句麗・百濟を平定しました。皇后は凱旋の途中で忍熊王の叛乱に遭いますが、三筒男神の御神教により当地に天神地祇を祀り、神武天皇ご斎祷の故事に倣い御自ら八十平瓮を作り菰の葉に埴土を包み粽として奉り、方災除けを祈願して皇軍を勝利に導かれました。
創祀より時を経て、神功皇后は朝鮮半島に出兵し新羅・高句麗・百濟を平定しました。皇后は凱旋の途中で忍熊王の叛乱に遭いますが、三筒男神の御神教により当地に天神地祇を祀り、神武天皇ご斎祷の故事に倣い御自ら八十平瓮を作り菰の葉に埴土を包み粽として奉り、方災除けを祈願して皇軍を勝利に導かれました。
後に応神天皇は此の地に須佐之男神・三筒男神・神功皇后を合せ祀り、方違大依羅神社(かたたがへおおよさみのかむつやしろ)と尊び奉られました。
御祭神
八十天万魂神(やそあまよろずみたまのかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
三筒男大神(みつつおのおおかみ)
息気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
本殿の左奥に楠木姫大神
楠木の前にあるから楠木姫大神はわかるけど
裏側の提灯は白龍大神❓
白龍大神で姫🟰瀬織津姫
イメージデンデラ左回転封印解除
詳しくは⬇︎
こちらは稲荷大明神
明らかにここだけ朱塗りなので
一番大切なところな気がする。
本朱塗り、稲荷大明神🟰饒速日
こちらもデンデラや
この菰の葉のお守りを買ってきました。
次の御神事で使えそうな気がする
知らんけど🤣