5年振りに受験生のいない1月を満喫している。成人式も終わったし、誰が風邪引こうが気にしなくていい。共通テストの報道も「ニュースずっとこの話してんな〜、もっとほかのこと言わんかい」くらいにしか思わないし、例年1月下旬つったら出願どうするとか私立の入試に備えようとかどっかピリピリしていたもんだが、それが一切ないってのが信じられない。1月ってこんな平穏だったのか。



去年は共通テストでイヤ〜な事件があったけど今年はそういうことも無さそうで、私的には至って平穏な1月である。平穏じゃないのは天災だけ。



今やうちで唯一、受験が待ち受ける年齢の高1息子はもー本当に勉強してない。先日学校で模試があったが、おそらく見たことない偏差値をもぎ取ってきてくれるだろうから期待している。もちろん低い方で。



彼は今部活やら何やらに夢中で、なんか知らんけど日本中に友達つくっててしかも会いに行ったりしてて、そうしながらコンテンツを消費して自らもコンテンツを創ったりして、まあ充実したオタク少年で、このままいったらどんな高校生活になるんだろう、受験は間に合わないんじゃないかな?いや起死回生で間に合うか、私もよくわからないところである。もちろん塾とかは行ってない。楽しそうだよ。



なんかあいつ仕事できそうだし、別に勉強そんな頑張んなくてもいいんじゃないかって気がしてきた。ただ、その能力を活かすフィールドに門前払いくわないだけのステージには立って欲しい、ってそれだけかな。まあそれが難しいんですけどね。



そういえば新聞に載ってた共通テストの英語の分量に度肝を抜かれたので、いずれやってみようと思っている。なんだアレあの長文、あんなん高得点取ろうと思ったらそれこそ中学生くらいから英語意識高い勢じゃないと厳しくない?とするとさ、それ以外のフツーの子は低いゾーンで勝敗を決めることになるのかな。確かに高学歴になる人は英語なんか出来て当たり前なんだけど、あの問題見ていると、そこに届かない庶民が「やっぱこれからは英語!」つって勘違いした英語信者になりそうな地雷臭をほのかに感じるな。大事なのは取得した英語で何を言うかなんだけどな。