帯に「TVドラマ2021年10月スタート!」の文字が。とうとうやるんですね。とりあえず見ます。よかったです。灰谷は加藤シゲアキだそうです。リアルにも「できる男」感出してるヤツ入れてくるんですね。



・「頑張らない努力」とは「まだ本気出してないだけ」で自分を守ること。今川“カンニング”りいさちゃんがやってるのはそういうこと。講師の木下の言葉「『頑張る』『全力を尽くす』こと自体が勇気のいることなんですよね。とことん頑張ってその結果、思った通りの成果が出せなかったらそれこそ辛すぎる…」自分に似てる、と思った。私も受験勉強本気でやった訳じゃないから。

 私の場合はりいさちゃんとはいろんな面で違うけど、現象としては「逃げ」と言えなくはないんだなあ、とあらためて思った。



・くろっきーにはひきこもり生徒の他に部活トラウマもあるんでしょうか。ちょっと盛り盛りでは。



・でもまあ盛り盛りなのはこのマンガの特徴。これでもか、とエレメンツぶち込んできて共感ポイントを増やした分読者の獲得が見込める。代償として伏線の回収が大変になる……けどすべての回収はされない気がする。怒涛の二月の勢いで終わらせそう。



・佐倉ついに黒木の秘密の場所潜入。キャバ嬢みたいな女子高生、塾に通ったことがない子、子連れで介護福祉士資格の勉強をする若きお母さん。そこを「大事な居場所」と言う彼らにとって、勉強はおそらく、未来へ向かう大事な手段だ。

 胸が痛くなる佐倉。ここは中学受験塾とは全く違うものとして描かれている。

 「勉強」とはかくも、シーンによって顔を変えるものなのか。



・でも変わらないこともある。別居で子連れで実家に帰ってきた島津ママ、同居の姉が学費の援助を申し出る。

 「勘違いしないで。わたしは『あなたに』援助するんじゃないの、『順に』なの」と宣言するお姉さん。おそらく独身のお姉さんは、中学受験に否定的なイメージを持っていた。遊べなくてかわいそうに、と。

 「でも実際、同じ屋根の下で順と暮らしてわかったことがある。そんなのは偏見だった。大変だし過酷なのは否定しないけど、そんな中でも順は、目を輝かせながら、時には貪欲に学ぶことを楽しんでる」

 お姉さんには島津くんが輝いて映るのだ。目的を持って戦っている島津くんが。



 中学受験が否定的に語られるときそこには、「学歴社会への抵抗」「格差増大への懸念」が主にあるだろう。私の場合そこに「良い学歴で良い人間になれるだなんて一元的な価値観がカッコ悪い」という見方が加わる。

 でも目標に向かって努力する姿は美しいのである。たとえ親がどんな親で、子供の受験に対してどう思っていたとしても、だ。

 やっぱ子供を潰しちゃいけない、それが第一だ、と思う。「勉強が未来へ向かう大事な手段である」ことは、中学受験生にとっても変わらない。(なのにかくも見え方が変わってくる理由は、おそらく付帯する要素の違いにあるのである。また考える)




・その子供を潰す寸前だった島津パパは侘しくも気楽な独居生活が板についてきた様子だ。アルミ鍋の鍋焼きうどんをすすりながら尾崎放哉を独りごちる島津パパ(文学部か?)。かつて好きだったモノを思い出してきたんじゃないか。

 


・帰国子女の馬場亜蘭くんの母なんでホームパーティーしてんの?周りの人達誰?帰国子女ってこういうイメージ???



・黒木弱ってる時だけ敬語じゃなくなるのどうなの。元気になると敬語纏うのどうなの。これ萌えキャラの演出手法だと思うんだが。



・佐倉が持ち前の無神経と図太さで黒木の領域をずかずか侵犯していくのいいですね。黒木も人に心許してないから。たぶんこのへん最終巻あたりで回収される。



・上杉兄弟できょうだいエピソード回収にかかりましたね。あなたに向いてるのはこれ、あなたはこっちと全部自分で決めちゃうお母さんに意を決してNOを表明する子供。あのお母さんふつうに良母に見えてたんですが、こういう毒母要素あったんですね。



・今までの見せ場を振り返ると、「ウダウダ悩んだり自分のものの見方を押し付けてくる大人を、子供が伸びやかなエネルギーでいじらしくぶっ千切っていく」構造になっているのがよくわかります。そこに読者は子供という未来を感じて感動するんだと思います。私もその一人。なんかイージーだな、と思いつつ。

 「子供のエネルギー」が免罪符になってるきらいがありますね。毒親の罪がチャラになる訳じゃないんだけどね。