♪飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで〜
回って回って回って回る♪
これは円広志氏の曲「夢想花」のサビのフレーズです。
さて今回のテーマは
「夢想(むそう)」
遠離一切 顚倒夢想 究竟涅槃
とあるように夢想からも離れなければ涅槃(ねはん)に至らないようです。
頭の中で飛んで回ってる分にはいいような気がしますが、
夢想することってそんなに悪いことでしょうか?
「顚倒夢想(てんどうむそう)」と、顚倒と夢想を一つとらえ、「真理とは逆を夢想すること」と読むのが正解なのでしょうか?
ここではあえて「夢想」という言葉にしぼって考えてみたいと思います。
夢想している時、ほとんどの場合は心が「今」にない状態です。
「宝くじ当ったらいいなあ」とか「芸能人の◯◯と結婚したいなあ」とか、
現実的でない妄想も「夢想」でしょう。
「引き寄せの法則」では「お金が欲しい」と思うと「お金」が引き寄せられるのではなく「お金が欲しい」という状態が引き寄せられると言います。
「夢想」ではなく目標を定めた「実想」をすべきなのでしょうか?
ただ目標を定めることも執着につながるので「夢想」ではなく「無想」というのが「涅槃」に近い状態になると思います。
「夢想」ではなく「夢中」になることによって「無想」になる(今を充実させるために目標設定をするのは有効だと思います)。
この三昧(ざんまい)という状態が「涅槃」(ニルバーナ)という境地に至る現実的なルートではないかと思います。
次回はいよいよ「涅槃」に入ります。
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