無智亦無得(むちやくむとく)
以無所得故(いむしょとくこ)
これは、
「知ることもなく、また得ることもない。所得するということがないからである」
という内容ですが、
「知ること」すら意味がないということでしょうか?(物は「断捨離」という言葉もあるように、できるだけ持たないのがいいのはなんとなくわかります)
「永遠に生きると思って学びなさい」というガンジーの言葉も意味がないのでしょうか?
禅の考案の中に
「師に会ったら師を殺せ、仏に会ったら仏を殺せ」
という非常に物騒なものがあります。
岡本太郎は著書で「殺すのは自分自身だ!」と言っています。
昨日までの自分を殺して常に新たな気持ちで生きるべきであると(断じて自殺しろと言ってるわけではありません)。
積み上げるのではなく、積み下ろすべきなのだと。
まさに「無所得」ですね。
「無所得」であるということは、逆に可能性が無限に広がることです。
「智(し)ること」や「得るもの」は、過去の荷物であり、増えすぎると身動きがとりにくくなっていきます。
どんなに勉強しても歳をとれば忘れていくし、お金や、お金を使って集めた物も、死後の世界に持っていけません。
「知る」ということは「知らない」ということがわかることです。
永遠に知ろうとすることが「無智」で、
それは、「今」を大切に生きる、ことになるのだと思います。
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