般若心経で、もっとも有名な一節といえば、
「色即是空(しきそくぜくう)」
です。
これは、
「物質とは空虚なもの」
「モノというのは形のないもの」
というのが一般的な解釈です。
物質というのは実は実体がないものだから、それに執着するのはむなしいだけ、
というわけです。
確かにその通りで、例えば、鉛筆はもとから鉛筆ではなく、木と鉛と墨を合わせて「鉛筆」というモノになっています。
その木は、原木からできていて、その原木も最初は形もなく、たどっていけば、ひとつのコレというカタチでとどまっていることはない、ということがわかります
そして鉛筆も短くなれば、捨てられて「ゴミ」となり、さらに燃やされて灰になります。
人間的な時間の感覚で見ていると、そのカタチを保っているようでも、
もっと大きな、宇宙的な時間で見れば、鉛筆として存在しているのも一瞬のことです。
すべてのモノは、常にカタチを変えていく。
それは人間も同じで、生まれて、成長して、そして死んで土に還る。
人間も物質だからです。
ところで、なぜ物質が「色(しき)」なのでしょうか?
この物質というものを「色」という一文字で表現しているのはスゴい!と思います。
なにがスゴいかというと、絵画の印象派がたどりついた答えと重なるからです
印象派といえばモネが有名ですが、そのモネが描いた「積み藁(つみわら)」という絵があります。
同じ積み藁を時間を変えて描いたもので、同じ積み藁でも、時間によって色が変わるというのがこの作品のコンセプトです
私たちが見ている色というのは光の反射であって、例えば、朝と昼と夕方とか、時間によって色というのは変わるのだということ。
色というのは光の状態で変わる、つまり
本当の色は存在しない
ということです。
水墨画のような白黒の世界こそがモノの実相に近いと言えます。
そしてそのカタチすらもとどまっていることはない。
まさしく「空(くう)」ですね。
物質、物のもっとも表層的な部分、もっとも外側の部分が「色(いろ)」すなわち「色(しき)」になります。
これが、物質が「色(しき)」ということです。
(参考本 「美について 今道友信著」)
(声に出して詠んでみましょう 般若心経咒)
ガーテー ガーテー パーラーガーテー パラサムガーテー ボーディースヴァーハー