梨さんのブログ -104ページ目

本日元日晴天なり

謹賀新年

おめでとうございます。


比較的暖かく、良い天気に恵まれた元旦当日でした。

年末年始も通常勤務の身のせいか

31日、元旦と、特別なこともしておりません。


幸い元旦の出勤はお休みになったので

きょうだいでのんびり過ごすことができたのは、嬉しかったです。


大晦日は実家から届いたおそば、郷土の味に舌づつみ。

兄貴推奨のRINSPEEDのサイト掲載プロモビデオをみて

奇天烈な車にツッコミを楽しんだ本日元旦。


上京してもうすぐ半年ですが、きょうだいが近くにいるおかげで

ホームシックに陥ることもなく、健康でトラブルもなくあっという間に過ぎた平成19年。


こうしてブログを記すようになったのも初めての経験でした。

直接お会いしたこともない方と

(私としては)腹を割ったお話ができるなんて、素晴らしい環境です。

案外お会いしていないから話せるのかもしれません。


今身近な人間関係で、ここまで自分のことをお話できるお相手がいないので

この場で吐露するようになったのかもしれません。

心の支えとして、かなり大きな存在となっていると思います。


なのでここを訪れて、コメントまで下さる方々にはたいへん感謝しております。

ありがとうございます。

今年もお付き合いの程いただけますと嬉しいです。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


今年、地元に拠点を移すことができるのかどうか…当面の課題はそれかな。

まだまだ分からないことばかりの新しい環境に、興味はつきません。

こちらでの生活を満喫できたら良いなと思います。


基本は健康をモットーに、努めて平和な日常を過ごしたいものです。

平和な年になりますように…。


ヒトとして

井戸端で社会現象を検証


楽しみにしている、さるブログにて話題となった件に関し

コメントとしてはあまりにも長くなってしまいそうだったので

今回、自分のブログの記事として記そうと思います。

そのブログでの趣旨は以下内容(ひろひこさん、問題ないでしょうか?)。



今から15年も前、男性誌を飾るグラビアアイドルを引き合いに

当時の社会的風潮として、男女間でそれぞれが求める理想の女性像には

あきらかな違いがあったというコトに始まり


「でも最近は男性・女性、双方の“理想の女性像”が歩み寄った感じで、

男性が『良い』という女性は、女性から見ても『良い』という風に変わってきた。

そんな、気がする(もちろん、着目点やその意識は全く違うとは思うが)。

どちらかというと、女性側の歩み寄りが顕著な感じで。

ごく自然に『良いものを良い』と、言い始めた様に思う。」



そのように指摘されてみると、確かにそうですね。


いつの間にか、女性が公の場で性的な言動をとることをはばからなくなりました。

世代交代によって、その行為に対し寛容になったという背景があると思います。


これって何十年か前の、海外でのウーマンリブという現象が発端となり

今になりようやく日本でもその現象が標準化されたという事態なのかと。


歴史的にみると女性という存在は、よくいえば神聖視、

見方によれば軽視されてきたことは否めない事実だと思われます。


多くの男性が、玄人の女性(という表現が適切でない場合にはあしからず)に

その性的な要素を求める反面、素人女性には貞節さを求める傾向にあることは

今もって否めない事実だと思われます。


それまでは、社会的主導権を握ってきた男性のニーズに即した時代だった。


がここにきて、女性の社会進出に伴い、

女性の存在が社会に及ぼす影響は、消費者としての価値のみならず

自らの基本的人権獲得にまで及んでいる

という事実の一旦が冒頭に掲げられた現象ではないかと、思うしだいです。


「こんなこと言うそれがしは性的欲求不満なのでは?」

などと邪推されると、とたん面白くなくなる。

そもそも、そのような発言により自由な議論を封鎖しようとする意思こそ

既に女性の権利うんぬん以前に、個人に対する人権侵害であろう

と思うのは、決して大げさなことではないはずだ。


それともここまで考えるのは単なるひがみか、警戒心が強いのか?

男兄弟に囲まれて育ったその環境は、

かように屈折した精神を形成するにたる状況だったのかもしれない。

己を守る安全策を講じておくことは性差に係わらない。


性的抑圧ではなく単純に

生理的欲求・生理現象の制限に置き換えると分かりやすいような気がする。


くしゃみをしたいが、鼻がムズムズするだけでなかなかでてこない。

トイレに行きたいのに行くことのできない状況。

おならをしたいががまんする。

あふれる涙をこらえたい。

ふき出す汗をどうにかしろ。


いかがなものでしょう。


先日テレビ番組内で、女性の脇の汗シミに男性は幻滅する。

その対策として施術による発汗の抑制というのが紹介されていた。


確かに、こまめに洗濯できない衣類の汗シミは困る。

最近ではそれに対応する汗取りパットなる商品も出回り便利なもの。


発汗という生理現象が他人に「見苦しい」などと不快感を与えるという事実。

結構な衝撃だ。


田舎から上京してきた身から思うに、

都会の文明はヒト本来の生々しさから遠ざかろうとするふしがみられる。


夏場肌の露出部位が広がるにつけ、女性はムダ毛のお手入れに気が抜けない。

人口密度の高い都会では、電車など他人との接近距離が異様に近い。

なので人様に不快感を与えないよう、デオドラントなどエチケットの類に

細心の注意を注ぐ必要がある。


それは女性に限ったことではないらしく、以前きょうだいから

「メトロセクシャル」という言葉を初めて聞いたことがある。

見繕いに余念のない男性を指すとのことで、衣服選びは当然

肌のお手入れ、マニュキアなどの装飾にも及ぶらしいと知るにつけ

「ほえー、都会の男子は凄いことになっているもんだー」

と、田舎者の私はおののいたもの。

もちろんそれが、都会の一部の人たちであることを今は理解できた。

いろんなヒトのいる都会って面白い。

よく言えば洗練されているというか、なるほどこれが文明社会の姿なのか。

何らかのヒトとしての弱みにつけこんで、実体のないものから

商品としての価値あるモノに発展させ、人々の意識に働きかけ消費を促す。

選択肢が多ければ、各自で必要に応じ取捨選択すればそれでいいのか。


田舎が原始的かつ野蛮であると言う訳ではないが。

こと日本人は過剰に神経質な気がする。


そう、トイレの排泄時に用いる消音の為の装置など

外国の方には、その繊細な心、大和魂を理解してもらえているのか…なんて。

いえ、その装置が不要だと言いたい訳ではありません。

孤立した島国日本、国土の限られた立地条件という環境、

限りある資源の有効利用などお国柄、文化背景など

それが必要とされるに至った原因はもちろん理解できる。


その日本人特有の繊細さ、勤勉さが良い効果をもたらしてきたことも事実ですし

むしろ、これから大切にしていくべき文化とも思われます。

何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。

用量用法をお間違えなく適切なさじ加減でもって図りたいと…。


ああ、なんだか話がずれた。

男女間の相違のはずが、日本人対外国人の比較になってしまった。

でも、これってもともと相対的な問題でもあるような…。

いっそのこと人類対野生動物との比較…とかってもう訳わかりません。

とりあえず軌道修正。


これまで女性性をアピールすることは、

すなわち男性の性的関心を惹きつけることが主たる目的とみなされていた。


しかし女性自身がそれを女性本来の自然の美しさとして捉え、自然に発露できる。

これまでに比べると自由な時代になったと。


場をわきまえない過剰なアピール・表現方法、趣味嗜好の程は別問題として

そのように思われる訳です。


今思ったのですが、冒頭に掲げた要旨の現象って、

性差による嗜好の相違が一致するようになったと見えるだけで、その実態は

もともと多様性のある個人の志向に、対応可能なメディアが出現したせいで

潜在していたものが表出するようになったという現象なのでは…


だから何も女性に限った権利どうたらではなく

マイノリティに属する者に、ようやく発言権を発動する機会が訪れ

市民権を得た…みたいな。


でも、今のマスコミって至上経済主義だと思われるので

画一的情報の元それに踊らされる国民

または、統制しやすい国民を育てるための教育

という図も俯瞰するとみえてくるような気もして…


ほおら、やっぱり混乱してきた。

たまに身に余る難しいコト考えると収拾つかなくなるこんな私です。

でも日記だから、勝手に好きなことしゃべらせて頂きます。

しかし、このお題でこんなに言いたいことがあったのかと、我ながら何とも…。


かつて‘平塚らいてう’という方の「元祖女性は太陽であった」という言葉がある。

古代シャーマン的存在として、女性の権力が強力な時代もあったと。

だとしたら今、その復権の時が来たのか。


今回は‘地面に掘った穴に向かってしゃべる’という機能を適応させてください。


年の瀬

今日は午前中、雨が降っていましたが、比較的暖かい日でした。


31日まで通常勤務だけど、お正月お休みだと嬉しいな。


そしたら実家からきょうだいの所に届く予定のそばを

きょうだい揃って食べながら年を越せるのに…。


毎日がその日限りで、大晦日や元旦だけが特別な日って訳じゃない

正月だからといって、特に何かをする訳でもないし

と考えればいいのかもしれないけれど、

やっぱり、できればまったりと過ごしたいもの…。


気が付くと、ここ4・5年程の年末年始

上京したきょうだいが、揃って過ごすようになっている。

反面、実家の父母はその間ふたりで過ごしていることにもなる訳だ。

来年はどうなるのか…。


お正月の天気は良くなりそうです。


そうだ。来年の干支ねずみは私の年だ。

私が干支を意識するのは年賀状を書く時くらい。

実際にその干支の年になると、全くかかわりがなくなってしまう。


静かな正月を迎えたいです。