縁と運とタイミング
やりたいこと、できること、しなければならないこと
社会に適応して生きていくのには
権利と義務の応酬がつきまとい、期待される。
期待されるうちは、華であるという。
しかし過大評価により発生するプレッシャーは疲れる。
だからといって、己の能力やその立場の程を正当に自覚したとたん
そのあまりのふがいなさに驚愕し絶望に陥ることになる。
もちろんそれは私自身にまつわる話で
その意味で私は自己欺瞞を決め込むことが多々ある。
過小評価されるうちは安全側だと言ったのは誰だったか。
大概のやりたいことは、ひとりででも実行するし
多くの人がそうしていることだろう。
しかしこと、結婚となると
それは相手がいないと始まらないもので。
えっと何の話が始まるのやらと書いている本人にも
今ひとつ分かっていないのだが
こんなうっとうしい話は
おいそれと面と向かってできるものでもないので
日記上、おおめに見て頂きたい。
諸先輩は
「結婚は縁と運とタイミング」と言うし、
その意見には同意できる。
そもそも意中の相手があれば
こんなことウダウダ考える必要もないのだが
「縁と運とタイミング」がキーとなるのならば
「結婚」という目的の為に、相手と出会う為の努力はむなしい。
しかし、ここでいう「結婚」とは誰の何のための目的なのか。
そもそも婚姻という制度ってなんだ、という根本的な疑問が生じる。
「結婚はできなくてもいいから子供はほしい」
なんていう意見もたまに聞く。
そう主張する人が、もしも婚姻関係を交した場合
それは子供を得る為の手段になるのかというと
もちろん、そうでもないはずだと思われる。
紆余曲折、各人の思惑はあったが結果として結婚したのであれば
大団円を迎えたということのはず。
さらに結婚後は出産・育児が期待される。
しかし、たとえ嫡出子でなくとも、
我が子がほしいと願えば、必ず授かるものでもない。
双方の都合により、叶わないことも充分予想される。
そんなこんなで、まだまだ色々あるけれど
おおよそ私の思うところ
これらに対し、自分でじたばたしてもしょうがないかと。
先日述べたように
なるようになるさ、ケセラセラ精神で楽観視
あるいは消極的姿勢、または放棄しているとの指摘も否定できない。
そんな感じです。