発言力
テレビを見て、倖田くみさんの発言が話題になっていることを知る。
他人の発言を逐一真に受けていては、身が持たないし
第一その発言自体、TPOをわきまえればこんな事態にはならなかった訳で
正直、その一連の騒動を見るにつけ
「ああ、なんかしゃべって、(それについて)なんか言われてる人がいる」
という感じです。
その発言内容というのは、実は自分も過去の日記で自嘲気味に似た発言をしている。
だからといういって彼女の立場を擁護するものでなく、
かといって厳しい立場で非難する訳でもない。
ただ、一連のマスコミの騒動を見ていて思ったことを記してみたいと思った。
まず彼女について、私は特に執着がないことをお断りしておきます。
その私の知る範囲の彼女の魅力とは
常に素直にその心情を発露する言動にあるのだとお見受けします。
で、その態度が現在の多くの方々の支持を集めている状況にあると。
彼女はご自身の存在が既に公の立場であること
その発言が社会に及ぼす影響について無自覚すぎたのかなと。
或いはその特殊な環境(芸能界)で感覚が麻痺していたとか。
何らかの秀でた特殊能力が必要とされるのが芸能人だと思われます。
それは同時に、普通とか一般が何であるか、どのような状態をさすのか、
それらを把握した上での絶妙なバランスで形成されているかと。
常識と特異さのさじ加減を意識的にコントロールする能力が
彼ら芸能人には要求されているようにも思います。
また、必ずしもそうとも限らないのが特徴の芸能の技、というのも中にはあるはず。
この辺りアーティスト(芸術家)と芸能人は区別されているかと。
私の中で倖田さんは歌手であり芸能人だと認識されています。
TV番組の渦中の話題によると、
彼女の問題発言となったのはラジオの収録番組であったという。
その事情をくみすると、彼女のその発言に対する制作スタッフのフォロー
(公には不適切と思われる発言を編集でカットし、未然に誤解を防ぐなどの対策)
が欠けていたこと。
それも今回の事態となってしまった要因のひとつかなと、思われます。
その発言の内容をみると、楽屋落ちで交わされるきわどい冗談だと思われます。
確かに趣味のよい冗談とは言えません。
が、悪趣味な冗談も、信頼できる人の発言であれば私は受け入れることができます。
むしろ、結構好きです。
セクハラ発言でも、その相手により、愉快な冗談にもなり、不快ともなりうる。
いかがなものでしょう。
悪趣味な冗談というのは、仲間内なら曲解の生じる危険の心配はありません。
万が一誤解が生じても、すぐに弁解というか相手の理解を得られるよう
なんらかの術があるはずです。
今回の顛末、私もこの日記を記す上でいろいろ考えさせられました。
日記という私的な行為なので何を記すも勝手だと、私自身は思っています。
しかし、衆人環視にさらされることを前提とする以上
ある程度の自己規制、不特定多数の方々への配慮は必要なのかなと。
そうであれば、先の日記に記した私の発言内容も失言となります。
映画や小説などの内容を記す前にネタばれ警報を報知するのは、
よく見かける気遣いの一端です。
web上、著作権など法的な規制の及ぶ環境での行為となっていますし
営利目的にあたらないことが明らかであり、黙認されている(されてますよね?)
とはいえ、どこまでの自由が許されるのか。
もちろん、これは各個人で自由に設ける運用に携わる問題だということは理解しています。
あと、考えすぎですよね。
ええ。自覚はあります。
でもぐちゃぐちゃ考えるの割と趣味なんです。
それを‘ウザイ’と感じられた方は放置して頂ければよいわけで…
あ、やっぱり勝手にさせて頂くのが都合よさげです。
書き手である私自身と、読み手様の互いの良識が合致すれば万事OKです。
そうなることを希望しています。