飛べました
子どもの頃、何事も努力すれば成就すると信じていた。
なので、子どもの頃、実は私、空を飛べていました。
他言はしなかったので、証人がいないのは残念です。
誰かにこの事実を話すと、その能力が失われてしまうのではないかと
警戒していたフシがあったと思われます。
「人間は飛べないっていうけど、自分は何でか飛べるんだもんねー」
と、ひとり悦に入ってました。
しかも確か小学3年生頃まで、その遊び(?)は続いていたと思う。
それ以降、生身の人間がタケコプターなどの装置無しで
飛べるはずがない、という認識に変わったのではなく
何となくそこから意識が遠のいただけだったかと思います。
振り返り、こうして他人に話すのは今回が初めて。
実際‘飛べた’というのは単に空想だったのではなく
平たく言えば‘スキップ’の応用です。
スキップって両足が地を離れ、滞空時間が発生しますね。
その飛距離をなるべく大きくすることにより‘飛んでいる’と
都合よく勝手に解釈していただけの話。
時間は通常全ての人に平等で、しかもその影響は
人間だけでなく全てを支配する絶対的な概念かと思いますが
反面、時間の経過を感じる感覚って、極めて個人的なもので
実態としては、相対的なものでもあると思われます。
実時間と、体内時間とでも区別しようかと…。
あ、ひょっとして四次元ってこんな感じ?違いますね。失礼しました。
勝手な持論です。自分のブログなので好きに言わせてやってくださいませ。
話を元に戻し、その頃の私にとって、そのスキップする時の滞空時間は
‘飛んでいる’状態であると認識するに足るものであったというわけです。
今でもその心理状態を思い出すことができます。
私は確かに飛んでました。
今だと人間が自ら飛翔する方法として、
背中の翼を羽ばたかせるという発想が主流かと思います。
当時の私の場合は、大地を蹴りだし、その勢いでtakeoffという原理でした。
大きく開脚し、両足をまっすぐに伸ばす。
最初の蹴りの強さと、伸ばした足の分だけ、長く飛べると信じてました。
そして重要なのは、着地。
ドスンと床に響くような着地は絶対にNG、それは美しくないという独自の美学があり。
自分が空から舞い降りたことを
他人に悟られてはならないという前提がありましたから。
他人にその秘密を知られると、飛べなくなるので、そこは慎重になるというもの。
着陸した後は何食わぬ顔です。
そのまま次のステップを続けると、飛翔継続状態になります。
ただのスキップの変則を、自分なりに
それで充分‘飛んでいる’状態であると楽しみ、喜んでいたしだい。
最近、このブログを読んで下さる方々から、私の実体と乖離した評価を頂き困惑。
誤解を招くような内容の記事に偏っていたことに気づかされました。
おバカな側面も告白しておかなくては…
とはいえ、特に望まれていないし、その必要もないとも思っていますが。
ホントは毎日ポカの連続で、反省の日々ですが、
学習能力の低さで救い難いのが自分でも情けない。
でもそれを取り立てて披露し、卑屈になるのは趣味ではないので。
しかし自虐な笑いは好きです。
そんなわけで、差しさわりのない幼少期のおバカ時代を披露してみました。
子どもの頃は誰しも独自の世界観で構築された
心のとりでのようなものがありますよね。
などと、普遍的な解釈を布石として自己防衛を図ってしまうあたりが
小賢しい性格の一端の表れで、皆さまご注意です。
なんだか混乱した内容になっていますが
実は常に混乱気味の私なのです。