空
久しぶりに空を見た。
抜けるような空
吸い込まれそうな空
そう言えば、子供の頃
真っ青な空に落ちる感覚を持ったことがある。
大きな公園で、芝生の上で大の字で寝転がった時
空に落ちそうになった。
友人に話したら、笑われた。
悔しかった、悲しかった
でも、みんなに否定されて自分が間違えてるって学んだ。
少し大人になった時に
「抜けるような空」や「吸い込まれるような空」
と言う言葉を聞いた。
それが正解だと学んだ。
もう 「落ちそうな空」 という言葉を使わなくなっていた。
「抜けるような空」を見上げて思い出した。
「落ちそうな空」
その瞬間、不思議な感覚を味わった…
空に向かって心が落ちていく。
子供の頃に感じたけど、
言葉を失い。
感覚を失っていた。
今日、
言葉を思い出して、感覚を思い出した。
感覚を思い出して気づいた
私は間違えてなかったんや!!!
子供の見る景色と
大人の見る景色は
違うって言う。
経験を積んで知識を持った
大人の景色は
子供には見れない!!!
純粋で素直な感覚を持った
子供の景色は
大人には見れない!!!
そうかな???
子供の景色は
大人にも見えるんちゃうかな???
ほんの少しのきっかけで!!!
歯車
「会社の歯車にはなりたくない。」
って言葉がカッコイイのだろうか???
「ただ指示を受ける人間にはなりたくない。」
って指示通りに動ける人間をバカにしてる???
歯車になりたくないって、
ただ単に自分の思い通りに出来へんことをしたくないだけちゃうん???
集団で作業をする時、基本となる場所では
定められた動きをする歯車が大事になってくると思う。
基本となる動作があってからの各部品だと思う。
基本となる歯車がちゃんと働かないと表面の部品がどんなに頑張っても
本来の力を発揮出来へんと思う。
だから、裏方でもイイねん!!!
しっかりと基本となって動ける様になりたい。
『私は会社の歯車になりたい。』
そして、
『会社の歯車を卒業するねん』
歯車を経験してから、次のステップに進むねん
歯車を経験した方が、歯車を上手く扱えるから!!!
夜景
飛行機に乗って、夜の街を見た
光が繋がっている。
大阪を出た時は、一面が光だったが
少し行くと光は点在しているだけで
孤立している様に見える。
でも、よく見ると光が繋がっている。
道路の街頭、車のライト
空の上からみるとちゃんと繋がっている。
ふと思う
昔の自分、人との繋がりを大切にしなかった。
自分一人で生きて行けると思っていた。
今の自分、まだ一人で生きて行けると思っている。
それは変わらない。
でも、「人と繋がっていた方が楽しい。」
と思いだした。
確かに、辛いこと・嫌なこともあるけど
その何倍も楽しい事がある。
楽しい事を作れるって思い出した。
人との繋がりって大切って思い出した。
そして、分かっている。
それに固執しすぎたらアカンことも!!!
今また、そのバランスについて考える。
どこまでが譲れて、
どこからは曲げられへんか
難しいけど、人と繋がるって
それだけの価値があるって思う。
