18世紀の前半に発明されたピアノですが
鎖国状態の日本では全く知られていませんでした。

1783年に鈴鹿を出発した
大黒屋光太夫たちは、船が難破したため
ロシアに流れ着いて10年後に帰国しました。

(光太夫と磯吉)


ロシア語を学んだ彼は、当時の首都に
出向いて女王エカテリーナ二世に謁見し、
船長として有名なラクスマン二世に
日本行きの船を出してもらいました。

その時に日本人で初めて紅茶を飲んだ
ということになっています。

当時にロシアにあった英国製ピアノに
魅せられて、ぜひとも日本行きの船に
一台ほど載せて持って帰りたいと
船長に言ったそうです。

途中で壊れるからと反対されて
日本に持ち帰ることは無理でしたが
どのような楽器なのかを、幕府に
書面で示した記録が残っています。

それから100年以上経過して
1900年ごろに国産ピアノが初めて
製作されましたが、ピアノ曲を
初めて作曲したのは滝廉太郎です。

彼は1901年に留学先のドイツで
結核に感染したために、日本に
戻って1903年に23歳の若さで
逝去いたしました。