何か刺激的なことを求めている。
一瞬の快楽的なそれではない。
自分の心を満たし、これを追いかけ続けたいと思えるような人生の確信のような感覚のことである。
例えば自分の心を揺さぶるのは海外で自らビジネスを始めた人のストーリーである。
バングラディシュでかばんづくり。
ケニアでアパレルブランドづくり。
タンザニアでパン屋さん。
新しい文化、人、景色、言語、挑戦。
不安定ながらも自分の信念を持ち道を切り拓いていく人たちはカッコいい。
アナログでフィジカルなものに惹かれる。
心が揺さぶられる体験はいつも五感を通してやってくる気がするから。
皆と同じよりも変わった道に進みたいと思う。
道をそれることは本当に怖いけれど、一度進んでしまえばなんてことはない。
むしろ考えに考えて自分だけの道を選んだら、それを誇らしく思えることがしばしばある。
好奇の目を向けられることもなかなか悪くない。
そんな刺激的な道に進むことを妨げるのは、家族、友人、世間の目か?
いや、自分自身である。
自分には向いていない。周りの成功例はないから無理だ。
特別な才能がないから、お金がないから、できっこない。
すべて自分が決めつけているような気がする。
そこの限界値を決めずに、勇敢に一歩踏み出すことが大事だ。
あとはどの山に登るのかを考えすぎてしまう。
せっかくなら、高すぎるくらいの山を目指したい。
でもいまはエベレストなのかキリマンジャロなのかモンブランなのか、決めあぐねている。
一度登り始めて戻るのはものすごくコストなのではないか?、と。
山頂について何を感じるのか、きれいな景色が見えるのか、タイミングよく天気は晴れ渡るのか、考えてもわかりっこないし仕方ないのではないか。
きっときれいな景色が見れると信じ、道中も楽しんでしまえば自分だけの最高の旅にできるのではないか。
自分の理性ではなく、直感的に惹かれるものに飛びつけばいい。
自分の心に正直に下した決断はきっと後悔しないから。
命の安全が保障されないから、皆と違う道を行くから、険しい山道を行くからこそ、刺激的なのだ。
道中を楽しみながら、山頂で見れる最高の景色を想像して旅するのが楽しいのだ。
周りの目を気にする自分とは決別しよう。
自分の本心が何を感じているのかを敏感に察知できるよう日々を過ごしていこう。
そのために無駄に他人の意見を受け入れず、自分が何を考え何を思うのか、正直な思いを受け入れて生きよう。
心が動く方向にいけばいいのだ。
生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。
岡本太郎