特に考えがまとまっているわけでもなく、答えがあるわけでもないが、考えたり思っていることを書き出す。
自分はどんな仕事がしたいのだろうかと毎日考える。
働くことを通して幸せになりたいと思っている。
今までサラリーマンを大企業とスタートアップの2社で経験してきた。
それぞれ働いてよかったと思える経験もあったが、総じて幸せに働けていたとは言い難い。
自分が「働くこと」を通して得たいものは何なのか。
そもそもなぜ働くことを通して幸せになることを求めるのか?
まず単純に人生で仕事に充てる時間が多いからだと思う。
働かなければお金がなくて生きていけないからという現実的な理由がある。
仮に仕事をしないで過ごせるほど十分なお金があったらどうか。
毎日自分の好きなものを食べ、映画を見たりスポーツに励んだり旅に出たりと好きなことだけをして暮らす。
周りの人にも喜ばれるちょっと贅沢なプレゼントができたりもする。
夢のような話ではあるが、お金で何もかも思い通りにできることで、本当に心は満たされるのだろうか。
自分は今までにどんな時に幸せを感じてきたのだろうか。
真っ先に思い浮かぶのはテニスの経験であり、自分の長年の目標(夢といってもいいかもしれない)を達成したことである。
どうしても、全国大会に出場したかった。
全国大会のその場に立つ自分を想像し、それを成し遂げる自分は誇らしく最高に格好良かったから。
自分の力でなりたい自分になることを成し遂げた、という達成感を感じられたことは幸せだった。
また周りの人に褒められ、認められることが嬉しかった。
承認欲求、自己顕示欲という言葉でも表せられるかもしれない。
テニスに取り組むことで感じられた幸せのもう一つに、他人の模範になれたということがある。
自分が他者を触発できるような存在になること、勇気づけられることがたまらなく嬉しかった。
後輩が目を輝かせて憧れていると言ってくれたこと、彼がテニスを続けるきっかけの一つになれたような気がして、大げさかもしれないが存在意義を感じられた。
大きなインパクトを残した思い出以外にも、ささやかだが確かな幸せを感じる場面は多々ある。
彼女と過ごすとき。
家族といつもの美味しい焼き肉を囲むとき。
友達とツーリングや釣りに出かけ、しょうもないことで笑いあえるとき。
練習後の部室で将来の夢を熱く語り合うとき。
ただテニスボールを追いかけ幸福感に満ちるとき。
海・山・川・空の自然に触れて感動するとき。
歌を聴きながらこの先の人生を考え、ただただ夜道を散歩するとき。
きっと幸せの形を一つの言葉で定義するのは難しい。
達成欲、他者貢献欲、承認欲求、愛情、自然の癒し、共同体的感覚、好奇心、所有・贅沢の喜び、成長の実感。
たぶん様々な欲が混ざり合って、いろんな種類の幸せを感じて生きている。
そしてその幸せの形や比率も時間とともに変化していくのが当然だろう。
仕事にはその時々に自分が感じるいくつかの種類の幸せを絡めることができれば最高だと思う。
じっくり時間をとれる今こそ、働くことの幸せを考えていきたい。