盆の墓参り
ちょっとブルーな話なんですが、昨年末に祖父が亡くなりました。
93歳、世間では大往生とか卒寿とかそういう言い方でなんとか丸く収める年齢ですが、やっぱりどうして、寂しく悲しいものがありました。僕は三国一のおじいちゃん子でして、ここ数年の大晦日は祖父の家で2人で過ごしていました。僕が家に行くと祖父はいつも蕎麦とおせちを用意してくれました。それを食べながら紅白歌合戦を見て何を喋るでもなく年を越していました。呆けてるのかよくわからないのですが毎年1月1日と1月4日にお年玉を2回貰っていました。本当に呆けていた説と、かわいい孫のためにわざと呆けたフリをしていた説が親戚の間では二分してました。どちらにせよ何でお前は2回受け取るんだと僕は批難を浴びていました。
小さい頃、確か小学校1年か2年の時、祖父と2人で道を歩いていたら後ろから石焼き芋屋のラジカセの声がして、僕らの横を時速100キロぐらいで石焼き芋屋のトラックが通り過ぎていきました。その時なんの気なしに僕が「焼き芋食べたい」って言ってしまい、それを聞いた祖父はそのトラックを追いかけていきました。杖をつきながら。時速100キロの焼き芋屋のトラックを老人が杖をつきながら見えなくなるまで追いかけていく。その後ろ姿の光景と結局追いつけずにとぼとぼと戻ってきた時の祖父の申し訳なさそうな顔は今でも鮮明に覚えています。
両親に内緒でファミカセも沢山買ってもらいました。魔界村とかアトランチスの謎とか買ってもらいました。
金沢のダイワというデパートのレストランで800円もするカツカレーをいつも食べさせてくれました。当時の子供たちの間でカツカレーというとワルの象徴みたいな食べ物で、今でいうとシャブに匹敵するほどの価値がありました。
亡くなる1年半はほとんど寝たきりで耳も聞こえず声も出なくなり、最期はくちびるの動きだけでの会話でしたが、いくつかのお礼と約束を伝えることはできました。
この前の盆、田舎に帰り祖父の墓に手を合わせたときに、この世の中に、僕のために、僕だけのために焼き芋屋をあんなに追いかけてくれる人はもういなくなったんだなと当たり前のことを思いました。
別にわざわざここに書くことでもないんですが、何にも書かずに通り過ぎるのも自分の中でちょっとあれだったので。
すいません、なんか変な空気になっちゃって。なんか今日だけは勘弁してやるかみたいな空気になっちゃって。