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今後の流れ―占星術的な観点から

11日に起きた東北太平洋沖地震は、列島中に言語を絶する痛みと不安をもたらした一方で、そうした状況に辛抱強く耐える被災地の方々や、冷静かつ迅速に事態へ対応したその他の地域の人々など、日本社会に通底する日本人としての美徳を引き出し、そうした国民性に対する内外での再発見を促してもくれました。

実際、地震から数日間のTwitter上でも、インフラや政府への批判、悲観論に走るのでなく「今自分たちにできることは何かをまず考えよう」と呼びかける人が多数を占めていたことに感動すら覚えましたし、身近な周囲でも被災者支援のサイトを作ったり、物資の搬送を行ったり、額の多寡に関わらず募金を行っている友人知人がたくさんいました。

ただ、本当の意味で僕たちが挙動を試されるのは、恐らく長く困難なものとなる復興へ向けて、本格的に腰を据えていくこれからでしょう。そこで改めて、せめて今占い師としてできうることとして、今後の社会的動きの流れを占星術的な観点から記述し、大まかではありますが整理しておきたいと思います。


●これまで~直近の流れ

まず地震の前後の占星術上の大きな動きを時系列順に並べると
①2月下旬から3月中旬にかけての木星と冥王星の凶角(クロス)
②3月11日の天王星の星座移行(魚座→牡羊座)
③3月25日を中心に前後の1週間ほど形成される木星と土星の衝(対立)
といった流れがありました。

これは意味的には、①→③へという流れが②をハブに起きていくと言い換えることもできますが、まずそれぞれについて簡単に補足説明をしておきます。


冥王星は伏在している巨大な力の象徴で、しばしば「死と再生」を伴う粛清を司る天体です。それが社会の全体性を意味する木星とクロス(90度)を取るとき、それは予想外なところから冥王星が膨張し、イージーな既存の尺度(木星)を覆してしまうことを意味します。この邂逅は昨年の6月と8月に続く3回目で、それぞれ「脱小沢」を掲げての管内閣発足や、100歳超の高齢者不在問題などがあったタイミング。ちなみに冥王星は英語でPlutoと言い、核兵器や原子力発電所で利用されているプルトニウムの語源でもあります。


発展や膨張を司る木星に、制御と点検の土星が向き合って緊張感のあるにらみ合いをする組み合わせですが、この場合は、極端なほどに膨張発展した社会を巻き込んだ動き(木星と冥王星のクロス)に対し、長期的な計画に基づく枠組みを当てることで手綱を引き締め、明晰さと責任をもって事態の健全化を追求する構えが取られることを意味します。


イノベーション(技術及び発想上の革新)を司る天王星はこれまで7年間魚座にありましたが、ついに牡羊座へ移行。これは新機軸の打ち出しが起こる場所が、ソーシャルネットワークなど「境界を無くし、垣根を越えてつながる」ことに関わる魚座的な分野から、パイオニア的性格の牡羊座が示すような「根本的なブレイクスルー」を図る未踏の分野へと移っていくことを表します。



放射能漏れなどの情報が錯綜し、まだ混乱した状態が完全には沈静化に至っていませんが、③について詳細を見ても、徐々に流れは長期戦を覚悟した上での、既存の体制のメンテナンスをどう行っていくかという構えに移っていきそうです。

今回の震災が、日本人の美点だけでなく、同時に原子力発電所の安全管理の甘さや、適切な行動の取れなかった政府のリーダーシップ不足、原子力に対する日本人の警戒心の薄さなどの難点も引き出したことはもはや言うまでもないことですが、例えば原発一つ取っても、あくまで信頼できる原発の管理保有の道を歩むのか、それともあえて時代に逆行した原発放棄の道を選ぶのかといった議論が活発化していく期間が今後しばらく続くのではないでしょうか。

後者にしても、石炭や天然ガスの大量輸入に切り換えるのか、太陽発電を推奨して電力の自給率を高めるのか、またそれと並行して原子力発電に変わる代替エネルギーの開発がどこまで可能なのかなど議論は尽きませんが、少なくともその行く末には②が大きく関わっていくのではないかと思います。

前回の牡羊座天王星の期間(1927~34)には、リンドバーグの大西洋無着陸飛行を皮切りに、TV放送の開始、ビックバン理論や不確定性原理の発見などがあり、放射能を測定するガイガー・カウンターがドイツで初めて制作されたのもこの時期。逆に言えば、今このタイミングというのは、時代を先導するオルタナティブ(牡羊座天王星)な路線を基調路線として打ち出すきっかけを作るチャンスと言えるのかも知れません。


●中期的な流れ

2011年6月5日から2012年6月中旬まで約1年かけて木星は牡牛座を運行します。

2010年の6月から9月、そして2011年1月末から現在に至るまで、木星は牡羊座にありますが、牡羊座は創造的で激しい変化を伴う「火」のグループであり、また季節の始めで何かをスタートさせる「活動」の星座でもあります。これは社会の中で「挑戦」や「大胆な行動力」に焦点が当たる一方、逆にその未熟さや無謀さ、粗さなども同時に露呈していく風潮を意味しますが、そういう意味では牡牛座は対照的な星座と言えます。

牡牛座は実生活の安定的な運営を重視する「土」のグループであり、季節の盛りにおいて何かを維持していく「固定」の星座。土は火と、固定は活動と対立するので、つまり、これまでの流れへの反省から、一転して「堅実さ」や「着実に落とし込むこと」の価値が社会的に沸騰することを意味します。そしてそれは逆説的に、豊かさの感覚や衣食住の充足ということが改めて問い直されるということでもあり、自然と、理屈でも感情でもなく、五感を基準にして、自分にとって安らかに「いのち」を味わえる生活とは何なのか(あるいは食と性とが適切に交わるのはどこか)?が重要なテーマとなっていくでしょう。

そしてこの傾向は、もう一つの大きな動きである海王星の水瓶座から魚座への移行@2011年4月4日から(世界が境を越えてつながりなおす)によって、更に助長されるはずです。
ex)水の問題(淡水化、自然保護)など

かつて坂口安吾は、戦時中の1943年に発表した『日本文化私観』の中で、「京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくなくては困るのだ。我々に大切なのは生活の必要だけ」だと述べ、そうした「やむべからざる実質」が求めたところの独自の形態こそが美をも生むのだと喝破しました。そうした、ロマンチックで英雄的なやり方に酔うのでも、過度に利己的な立場に陥るのでもない我が道で、一本ずつ生活に必要な柱を立てていくこと。それが再興の精神であり、日本人が見せる真骨頂ではないか。そんなふうに感じます。


(Sugar)