ふまじめな占い、まじめな占い。 | メンズ占い師ユニット not for sale. Official Blog [Powered by Ameba]

ふまじめな占い、まじめな占い。

これまでサロンに送っていただいたものの中でも、
特に多いのが、

「先日は、とても楽しい時間をありがとうございました。占いに行って、あんなにすっきりした気持ちになったのは初めてでした。」(いただいた感想より抜粋。以下略)

「帰り道は、すっきり、さっぱり、爽快で、ルンルンでした。何度か他の占いも受けたことがありますが、今回ほど「すっきり」感があったのは、はじめてかなと思います。」

「あの日から、スパッと何かが吹っ切れたように、スッキリしました。」


といった言葉。

要はスッキリ感(°∀°)b

下剤でも飲んだんでしょうか??


いえ違います。占いです。グッド!


ただ、それは

先生のおかげで救われましたっ!!今後とも崇敬いたします~(涙涙)

とか

これで人生の解答が得られたました(合掌→解脱)

とか言われる類の、天啓(呪い?)をぶちこもうとするものではなく、
ましてや、この世の真理をご開帳するような壮大なものでもなくて、

「ちょっと霧が晴れてきたようなかんじ」

「こんな感じだよと地図を見せてもらったような感じ」

「背中を押していただいた感じ」


といった、ごくごくささやかな効果を与えるもののようです。


ふつう占いというと、まずもって
当たるか/当たらないか
という枠組みがものすごく大事にされている訳ですが、


こうした枠組みを自身の職業観のベースにしいた上で、真摯に技術や霊感?を高め、知識や言葉を体系化していき、現場においては(相談者に対して)思い切って最終的な解答を出して、それを画期的な予言あるいは「神の視点」として提示しよう(少なくとも、それを目指そうと)する占いを、まじめな占いと呼ぶとしますと、

僕らの占いというのは「ふまじめな占い」なのかも知れません。
ズバッとした解答=ゴールへとストレートに向かわず、なんだかいつまでも脇道にそれてふらふらしているように見えるし、そもそも人間の理性がはじき出す「解答」というやつを信用していないから、現場のコミュニケーションに体系性や完結性をもたらそうとするのとは逆に、半ば確信犯的に脱中心化・脱体系化(ある意味ではそのためのインタラクティブ)しようとするところがある。

ただ、世界を善/悪や勝ち/負けの二つにはっきり切り分けられ、またこの二項対立的な図式を個人の努力でひっくり返すことが出来るというある種の幻想を無邪気に信頼し続けられなくなってきた今の時代においては、「まじめな占い」よりもむしろ「ふまじめな占い」の方が、意味と効果があるというふうにも考えられます。

つまり、上記のような幻想に半ば囚われているものの、完全にそれに取り込まれているわけではなく、夢見心地の中で部分的に覚醒している人にとって、必要なのは二度寝ではなくきちんと目を覚ますことなんじゃない?ってこと。

そういう意味で、
「スッキリ感」を伝えていただくのはすごく嬉しいですし、
おそらくその結果として、下記のような心境の変化を伝えて頂くこともあります。

「占っていただいたことをきっかけに、自分を客観的にみること、また現状を把握することができました。」

「今までの自分だったら気持ちの整理がついていないまま我武者羅になって行動して、結果何もかも最悪な状況になっていたのですが、今回は頂いたアドバイスを元に、一度立ち止まり冷静な気持ちで良い結果に持っていこうという思えるようになりました。」

「占いと一言で括ってしまうのは容易いのですが自分の問題点を客観的に見付ける事は難しく、それなりに裏側も知らなければ問題点をピックアップするのは身近な存在でもなかなかと考えていましたがピンポイントに指摘をしていただけました。」


占いにふまじめでいつつ、かつ誠実に向かいあうためには?
まだまだ手探りですが、丸1年占いサロンで鑑定を続けてきて、そんなことを考えている今日この頃です。


(Sugar)