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「スピリチュアルな時代の深層を読み解く」3

Sugarです。「1910年と2010年~スピリチュアルな時代の深層を読み解く」と題された鼎談(鎌田東二さん、鏡リュウジさん、田口ランディさん、以下敬称略)の紹介と敷衍とそれらの整理の続きです。

前回のエントリーでは、昨今頻繁に目にするようになった「パワースポット」という言葉の使われ方の中には「量化できるパワーを授受する・できる」という物質主義的な視点が伺え、それは「聖地」の真価を浮かび上がらせる「生態知(deep-ecological-wisdom)」的な眼差しと対極にあるという旨について書きました。今回はこの構図についてもう少し詳しく言及してみたいと思います。

まず前者の視点について。例えば、恋愛や縁結びに効くとされる東京大神宮に行って恋愛力・女子力のUPと小悪魔化、美魔女化を図る?という行動には、それがブーム化した途端(社会的にも個人的にも)、「婚活の一環」という当初の意図をこえ、やがてパワーを授受すること自体が目的となってしまうであろう「危うさ」がどうしても付き纏いますが、この種の危うさにはどこか、オウムに感じていた倒錯感に通じるものがあるように思います。

オウム真理教というのは、もともと真面目なヨガの教室から大きくなっていったこともあって、実践的な「修行」を極めて重視する教団でしたが、その中心となったのは超能力―つまり「パワー」の開発・増強とその身体化=物質化であり、修行の目的として掲げていた「(最終)解脱」という大義名分は、実際のところパワー信仰のための方便に過ぎませんでした。

ただ、そうした事態そのものは、オウム真理教という教団に特殊な現象だった訳ではなく、あくまで人間の宗教意識に備わるもう一つの側面(魔性)が機を得て増幅された一事例であって、宗教史的にもオウムのような展開はこれまでいくらでも起こっています。

そういう意味では、パワースポットに熱を上げる現代人というのも、わりと普遍的な人間の姿なのかも知れませんね。そういうこともあるよと。だからこそ、かつてオウムが救済(ポア)のために人々を無差別に殺害したように、誰かのエゴが周囲の環境世界を食い破るような事態になったとしても、根本のところでは文句は言えないし 、むしろ「どうしてこうなった?!とか騒ぐ前にちゃんとトリセツ読んどけや」って話なんだってことを、もう少し自覚する必要があるのだと言えるでしょう。

宗教をめぐる上記のような問題に対し、1910年以降初めてスピリチュアリティー(霊性)という言葉を日本語で表現し、同時に世界に向けて日本的霊性を発信し続けてきた思想家・鈴木大拙は、まず宗教を「力の宗教」と「霊の宗教」とに分けることを勧めています(『宗教経験の事実』、1943年)。

前者が「量化できるパワーを授受できる・したい」という衝動に裏打ちされ、かつパワースポット―オウムの系譜がそこに連なる類の宗教だとすれば、後者は「大地性の宗教」(玉城康四郎『宗教と人生』鈴木大拙論より)であり、「自分自身は大地より出ており、大地の中にしっかりと根を下ろしている、という自覚」と、その自覚から芽生える「大悲※」に基づいたものだと言う。

大悲とは、直接的には親鸞に象徴される浄土信仰における、「つぎの世は極楽でも地獄でもかまわない」いずれにせよ「(自分は)仏の無辺の大慈悲(光)に包まれている」という自覚を指しますが、間接的にはスウェーデンの神秘思想家・スウェーデンボルグ※における「神愛」という概念をも含んだ言葉だと考えられます。

スウェーデンボルグのストックホルムの火事(1759)についての予言は、後にカントが純粋理性批判を書くきっかけとなりました。

霊の宗教=大地と大悲。この二つを結びつけるものとしての「生態知(deep-ecological-wisdom)」。

先週、650万年前に地球霊王たる魔王尊が降り立った(とされる)場所であり、シャンバラへの入り口の一つ(とされている)京都の鞍馬山に行ってきたんですが、やはり特別な場所として聖別されるには、それなりの理由があるものです。ここではその詳細は省きますが、磐座、湧き水、薬草、地質、地形、植生などなど、様々な点から見てみても、鞍馬は非常に興味深い場所でした。今回で3回目の鞍馬だったのですが、それでもまだまだ僕の中で点と点はつながってくれません。(山の中腹にある霊宝殿に生態系に関する詳しい資料があります)

鼎談のテーマである「スピリチュアルで持続可能な世界」というものを考えるためには、人と人の関係を含んだ社会と自然の関係を見つめ、未来への影響を予測する必要がありますが、そのためのヒントとして鼎談の中で三氏がそれぞれに提案したものの内、三氏ともに共通していたのが「地元とのつながり」(鏡)、「森の文化的意味」(鎌田)、コミュニティーにおける相互扶助(田口)など、「自らの大地性を問え」というメッセージでした。

それは「小さき者としての自覚」を自らに促していくこととも言い換えることができますが、これこそ僕たちが「生態知(deep-ecological-wisdom)」を養い、スピリチュアリティー(霊性)を賦活させていく上での第一歩なのかも知れません。

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次回は少し時代をさかのぼって、戦火深まる1944年に渾身の書『日本的霊性』を出版した鈴木大拙と、大拙が多大な影響を受けたスウェーデンボルグ、そして両者を媒介したアメリカ等について(1910年以前と以後)、もう少し続けます。