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「スピリチュアルな時代の深層を読み解く」2

Sugarっす。先日に引き続き、「1910年と2010年~スピリチュアルな時代の深層を読み解く」と題された鼎談(鎌田東二さん、鏡リュウジさん、田口ランディさん、以下敬称略)の紹介を続けようと思います。

折りしも、10月3日付けのニュースでイギリスが古代ケルト信仰ドルイド教を史上初めて公認したという情報が入ってきましたが、考えてみれば、柳田國男が1910年に『遠野物語』を世に問う以前に日本民俗を再発見(1894年~1904年まで『怪談』等、日本関連の著作を続けて発表)したのは、ケルトの民間伝承が色濃く残るアイルランドの地で幼少期を過ごし、後年日本へ帰化したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)でした。

そして、そのハーンが直接&間接的に影響を受け、かつ先駆となっていた人物に、パーシヴァル・ローウェルというアメリカ人がいました。彼は、冥王星の存在を史上初めて予見した(発見は別)天文学者であると同時に、1989年から93年にかけて日本に通算3年間滞在し、『NOTO』『極東の魂』『オカルト・ジャパン』などの著作をあらわした日本研究家でもありました。

ローウェルはその著作の中で日本人の自然観に触れつつ、「なぜこれほどに没個性的で近代性を備えていないのに、高い芸術的感性を持っているのか」(田口)と問い、特に「花の愛好」が身分の上下に関係なく、広く人々に染み渡っている様に感嘆したそうです。

当時の日本人は、例えば花を美の神ヴィーナスに喩えるといった、ギリシャ的な擬人化や人格化の対象とすることを拒み、自然を自然としてあるがままに感じ取ろうとしていたそうですが、「この(ローウェルが描写する)日本人の感性の在り様は、パワースポットに熱を上げる現代の日本人のそれとは大きく異なっている」(田口)ことは明白でしょう。※もちろん、ローウェルの描写はリアリスティックというより神話的であり、「ケルティック・リバイバルの中で描かれたケルト人描写にそっくり!」(鏡)という指摘も踏まえた上で受け取る必要があります

いま様々なメディアでスピリチュアルブームやパワースポットブームという取り上げ方がされてますが、聖地への関心、巡礼熱そのものは、これまでも定期的に盛り上がりはすれど(それこそハレー彗星のように)、現在のように毎日新聞の夕刊1面や男の隠れ家、PENなどオジサンの読み物までが特集しているさまは、「はっきり言って異様」(鎌田)な感があります。(コンテンツの良し悪しは置いておいて)

僕もつい先日、伊勢へ旅行に行ってきたんですが、外宮や内宮をまわった時に、当たり前のように正宮の中を携帯の写メで取ろうとしている人が沢山いたのがとても印象的でした。清正の井戸よろしく、携帯の待受けにしたり、一緒に来れなかった友達に送るためなのかも知れませんし、そういったことに対して、いちいちここで云々言うつもりはありません。

ただ、そういった聖地への向き合い方の中には、「パワースポット」という言葉自体が含む物質主義的な眼差しが見え隠れしているように思います。それは、「量化できるパワーを授受する・できる」という視点であり、有限の自我を超え内在的な真我の奥底へと開かれるという「スピリチュアル」という言葉が本来持つベクトルとは反対方向をむいたものです。

聖地とは、本来「ナウシカ』に出てくる腐海の底の底のように、深い深いエコシステムを持っていることがその源泉」(鎌田)であり、例えば伊勢神宮にしても、神宮を中心に回る生態系全体を見ていくのでなければ、その真価は見えて来ないでしょう。鼎談の中では、そういった視点のあり方を「生態知(deep-ecological-wisdom)」という言葉でくくっていましたが、逆に「パワースポット」という視点で聖地を見てしまうと、「(聖地の持つ)エコシステムそのものがエゴシステムへ回収されていってしまう」のではないか?という危惧さえ感じてしまいます。

一体、こうした事態はいつどこで起こってきたのでしょうか?

それには「霊性」という言葉をめぐる本来の意図やねじれが関係するんですが、そんなことにも触れつつ、また続きを書きまーす。