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「スピリチュアルな時代の深層を読み解く」1

こんにちわ、Sugarです。

秋分を控えて少しは秋っぽくなってきた今日この頃ですが、秋刀魚食べてますか?

僕はほぼ毎日たべてます。カツオもうまい。燗酒もうまい。いい季節です。

まーでも食べて飲んでばっかじゃなんだということで、
先日、明治大学で開催された第9回目の日本トランスパーソナル学会に行ってきたんですが、その中の1910年と2010年~スピリチュアルな時代の深層を読み解くと題された鼎談(鎌田東二さん、鏡リュウジさん、田口ランディさん、以下敬称略)の内容が興味深かったので、こちらでも少し紹介しようと思います。


■100年前の危機意識

今から100年前にあたる1910年という年は、色々な意味で節目となる年だったようで、たとえばこの年の春には、76年周期で地球に接近するハレー彗星が観測されてますが、この年の接近は特別でした。

と言うのも、当時のフランスの科学者がハレー彗星の尾の部分には猛毒の成分が含まれていることを解明し、それを第一次大戦を目前にすでに整備され始めていた大衆向けメディアがセンセーショナルに煽ったため、「地球上の生物は全てガスに覆われ窒息死する」という噂が世界的に広まり、日本でも大騒ぎになったそうです(実際には、ハレー彗星のガスが地表に到達することはなかった)。

歴史的にも彗星の出現がこれほどの規模で大騒ぎとなった記録はなく、結果的に科学とメディアの発達が、人類が初めて地球規模での危機意識を共有するきっかけとなった訳ですね。

それまでヨーロッパでもメディアが充分に発達していなかったり、日本もついこないだまで鎖国していたことを考えると、当時の日に日に不穏さを増していく国際情勢と、それに伴う情報環境の目まぐるしい変化は、集合的な意識レベルでかなりの衝撃を伴ったことと思います。

そして、この言わば「外からの危機」の一方で、どうも「内なる危機」と呼ぶべき別の危機意識も日本国内に広がっていたようです。

例えば後者の状況を示す事例の一つに、急激な近代化の反動により壊滅的な状況にあった当時の日本の村々の状況をつぶさに知る立場にあった柳田國男による『遠野物語』の出版が挙げられます。

同書では、神々の由来、天狗や河童、座敷童子、魂の行方、神隠しや歌謡など、遠野に伝わる不思議な話がたくさん紹介されていますが、それは、土から離れて生活するようになった当時の人々が見失いつつあった、日本人が素朴に保ってきた未知を扱う「おそれ」の感性を伝えようとするものでした。

実際、『遠野物語』はあくまで遠野の人々が語った日常の暮らしの中での体験を、ありのままに記録しようと努めて編まれており、序文には「願わくはこれを語りて、平地人を戦慄せしめよ」という一文が付されています。

平地人とは、知識をつける一方で外的危機にすっかり捕われてしまっていた当時の都会人であり、柳田からすれば、それだけ当時の人々の内面的危機が深刻なものに映っていたんでしょう。


上記は鼎談の中のほんの一部ですが、こうした外からの危機と内からの危機というダブルの危機を孕んだ1910年という年を、「スピリチュアル元年であり、グローバル元年」(鎌田)と認識しているとのことでした。


■カーディナルクライマックス

1910年という年は、占星術的に見ても興味深い年で、土星、木星、天王星、海王星がすべて活動宮(自発的、行動的な勢いになる)でクロスに配置される「カーディナルクライマックス」と呼ばれるパターンをとっています。

これは数十年に一度表れるパターンで、社会構造に劇的な変革が起きるタイミングとされていますが、特に1910年の天王星と海王星の衝(180°)は、科学的なブレイクスルーやラジカルな社会変革(天王星)と、そうしたものでは割り切れない集合的な無意識や霊的世界(海王星)との間で生じる対立や葛藤、衝突をよく表していますし(鏡)、そこにもっと具体的な社会の骨組みと対応する木星と土星の2つの天体の衝がクロスしていく様は、車輪のように目まぐるしく世界が動いていく姿を象徴するかのようです。

実は、このカーディナルクライマックスは、リーマンショックのあった2008年から現在~2012年まで起きているパターンでもあります(種類は違いますが)。つまり占星術的には、私たちがいま直面している状況というのは、100年前と同じレベルの危機を孕んでいるということですが、果たして100年前と比べ危機は減少したでしょうか。

国政そして地球環境など外的なレベルにおいて、あるいは、スピリチュアルやパワースポットがブーム化するような内的なレベルで。

スピリチュアリティーとサステナビリティーという2つが、この鼎談のテーマでしたが、1910年と2010年という二つの時代をタテ軸に結んだ時にまず感じるのは、100年たった今、どちらのキーワードにおいても、かつての状況が違う形でより深刻化しているということ。

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この話については、また日を改めて続きを書きます。