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占いって、結局ナニやってんの?

こんにちわ。今日も元気に二日酔いが抜けたSugarです。

先日、中学時代に鈴木光司の『ループ』を読んだときに灯った感覚が、占星術やってるときの感覚に近いという話を書きましたが、今日はそれについてもう少し。

占星術でやってることって、生年月日などの個別の情報を星の運行情報に変換して、ホロスコープというひとつのモデルを作って、それで世界(やそこに含まれる自分)を捉えようとすることなんですが、これは端的にいえば「世界のモデル化」と言えるかと思います。

そうして作られるモデルは、プラグラムであれ、物語であれ、シンボルによって構築された「虚」の世界ですが、これは多様で予測不可能な事象に満ちた「実」の世界とセットになっています。そして、一般に「占いが当たった」というのは、占う者と占われる者の間でつくられた虚のモデルが、実の世界と「適度な対応関係」を成立させた事態を指す訳です。

これは逆に言えば、実はもともと実の世界には、虚のモデルへの抽象化を許す構造があって、そうした現実の「梁」のような部分に、僕たちは注目することができる、という可能性の話でもあります。つまり、たとえば普段は現実の瑣末な部分にのみ気がいってしまっている人がいるとして、その人はもはや自分が住んでいる実の世界がどんなものだったのか、分からなくなっている。そんな彼が、昔ある時(誕生時)つくられたという虚の世界(誕生祝いに送られた一枚の絵画とか)に、なぜか不思議なリアリティーを感じて、見入っているうちに、忘れかけていた実の世界のリアリティーをおぼろげながら取り戻していく…。

ここでポイントとなるのは、単に考えを「これこそ実か?否か」という二者択一にもっていくのではなくて、虚実の「適度な対応関係」を志向して、目の前のモデルをちょうど「鏡」のように考えて、実の世界をうまく反映するようなベストポジションを探そうという方に持っていけるかどうか。

どだい、ひとつのモデルで世界の膨大な状況をすべて受け取って情報処理しきることなんて無理ですから、世界を眺めるのに何らかの偏見や誤りを持ってしまうことは避けられない。だとしたら、後は適切なモデルを鏡代わりにして、その偏見や誤りをただしていく他ない。そうしたモデルのひとつが、例えば占星術で用いるホロスコープだったりもすると。

その点、やっぱり人類が長年使い込んできた愛用品だけあって、確かにモデルとしては結構しっかりしてますからね。占星術

だから、あとは読みよう、使いよう、占いよう。大体使いこなせてない、お金と一緒で。逆に使われちゃう。

そういう意味では、世代をこえて読み継がれる小説や物語なんかにも似たところがあるかも知れない。

よい物語は読者がつくってきた虚の世界を食い破る。実際、僕たちは自分の生きる実の世界の細部をほとんど知らない(気を配れない)から、その細部(伏線)のわずかな違いや変動が全体へ及ぼす影響の程を知るだに「驚く」んですよね。

まぁそんな、細部に宿った神(カオス)に出会うタウゼマイン(存在驚愕)をやってるのかな、占いって。


ではー。飲みにいく