筆者には、2005年から追い続けている人物がいる。それは、大正時代の出来事である「シベリア出兵」の際、シベリア最前線に派兵された旭川第二十八連隊所属安瀬正巳(あんぜ・まさみ)小隊長特務曹長である。



 実は、安瀬曹長の活躍が記述された「戦闘詳報」と題する旧日本軍の最高軍事機密文書が、2005年に北海道北部の剣淵町で保管されていることを確認したのだ。




 筆者は当時、北海道のある新聞社で、記者をしていた。そのときの第一報を以下に記したいと思う。年齢などは、2005年当時のまま記載する。



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シベリア出兵「戦闘詳報」見つかる 剣淵の斉藤藤市さん宅から
旧日本軍の最高機密 陸軍伍長の義父が保管


2005年1月13日報道




【剣淵町】日本近代史最大の謎とされ、当時の日本政府や旧日本軍の最高軍事機密とされていた1918年のシベリア出兵「戦闘詳報」町内で保管されていることが、このほど分かった。



 シベリア出兵は、ロシア革命に伴い、世界の国々が軍事介入した事件。日本は、1922年の撤兵までに四千六百人の戦病死者を出した。シベリア出兵の事実は日本国民に知らされず、その詳細資料も第二次世界大戦の日本敗戦によって、多くが破棄されたり、失われたりした。そのため、現在も詳細は分かっていない。



 資料が保管されていたのは、町内在住の斉藤藤市さん(85)の自宅。1988年、斉藤さんの義父である故村岡一郎さんのタンスを整理中に、偶然発見した。


 村岡さんは、村岡正美前町長の兄で、3年間シベリアに滞在した。旧日本軍では、陸軍伍長勤務上等兵を務めていた。



 書類は、陸軍罫紙(けいし)と呼ばれる縦書きレポート用紙が七枚。年号は書かれていないが、出兵開始当時の1918年のものと思われる。日付は、九月八日から十七日までのもの。報告書の途中、「三十日」という記載もあるが、文章の流れから見て「十三日」の記載ミスだったものと思われる。



 報告書の内容は、現在の中露国境沿いアルグン川下流のアバカイド村で、旭川第二十八連隊所属の安瀬正巳小隊長特務曹長の働き振りが克明に記録されている。



 アバカイド村には、安瀬曹長が率いる十人の兵士と通訳一人だけで入り、敵の状況を捜索した。村では、村民の牛百頭と農具などがコサック民族の義勇軍によって奪われ、切迫した状況だったため、旧日本軍の援助を得て奪還したいと願う声が報告されている。そのため、アバカイド村長以下三百数十人の村民の歓迎を得たとなっている。



 安瀬曹長の隊員に対する訓示も詳細に記録されており「今や歩兵第二十八連隊を代表して、この名誉ある戦闘に参加せんとす。これ千載一遇の好時期なり。各人は責任を重し。奮闘努力もって軍人たる本分を全うせよ」と述べたとされ、当時の軍の考え方が分かる貴重な一文となっている。



 安瀬曹長は、村民の生命と財産の保護を約束。村民の安どの様子も記載されている。



 また報告書では、捕虜拘束の様子や義勇軍協力者を訓戒して帰宅させる様子も明記され、第二次世界大戦当時の日本軍の振る舞いとは大きく異なるイメージを持たせている。そして、一般住民のふりをしてゲリラ戦を仕掛けてくる義勇軍がいることも書かれている。




 資料を発見した斉藤さんは「なぜ義父が、このような最高軍事機密を自宅で保管していたのか分からない。本当に貴重な資料で驚いている。どこかにいるはずの安瀬曹長の子孫や親戚が見つかれば、この資料を見せてあげたい」と話している。



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 読者の皆様は、「旧日本軍」と聞くと、どのようなイメージを持つだろうか? 若い人からは、「野蛮である」「民間人を大量虐殺した」という声も聞く。確かに、国際法で定められた「人道に関する罪」に問われても仕方ない軍人もいたであろう。



 しかし、「戦闘詳報」に出てくる安瀬正巳曹長のように、自らの命を懸けてでも現地の人々の生命や財産を守り、現地の住民から歓迎された軍人もいたのだ。



 歴史とは、フェアに評価されなければならない。そのためなのか、故人である村岡一郎さんは、第二次世界大戦後も命懸けで「戦闘詳報」を守り続けていた。戦争関係の資料を持っていると「戦犯」とされる危険性もあった時代でもあった。そして、現在においてもロシアは自国に不利な資料や情報を持っている人物へ、スパイを送り込んででも殺害するという報道もある。(2006年11月には、アレクサンドル・リトビネンコ氏がイギリスでロシアのスパイに殺害されたと報道されている。)
 それでも村岡一郎さんは、安瀬正巳曹長の「戦闘詳報」を守り続けた。




 村岡一郎さんのご遺族も、ご高齢である。記事の本文でも書かれてあるとおり、「どこかにいるはずの安瀬曹長の子孫や親戚が見つかれば、この資料を見せてあげたい」と話している。


 もし読者の中で、「安瀬さん」という知り合いがいたら、仏壇の過去帳(家系図)で安瀬正巳曹長の名前があるかどうかを尋ねて欲しい。そして、ささいな情報でもあれば、是非ともメールや書き込みをいただけたら幸いである。



 もちろん、いつも通り、このブログの感想などもお待ちしています。




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