アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170201
【晴時々曇】
近所のおじいさんが死んだ。
脊椎カリエスという病気で長く床に就いていたが、一昨日の朝、家族に見守られての最後だったという。
私は家の使いでいつも訪ねていたので、よくおじいちゃんの話し相手になって、病床の退屈凌ぎに手を貸した。
だから、おじいちゃんの死は、私にも辛い出来事だった。
おじいちゃんの家の菩提寺は、近くの福厳寺ではなく、7丁目の切通しを越えて今福に入り、更に五十部を抜けた大岩にあったから、葬列が家を出て墓地に着くまでには、多分一時間以上かかるだろう。
母は私が葬列について行くのを、道が遠いのを理由になかなか許さなかったが、何度も熱心に頼んだおかげで、決して独り歩きをしない事を条件に許してくれた。
たまたま葬儀の日は日曜日だったから、学校を休まなくて済むのも、母が許してくれた理由のひとつなのだ。
葬儀が終わり、じゃんぼんのドラの音に集まって来た子供達への念仏玉が済むと、何本もの高いノボリ旗を先頭にして、長い葬列は別れを惜しむかのように家の庭を三度まわると、逆川に沿った道を北に進んで本街道に出ると、そこを左に曲って7丁目交番前を抜け、切通しを渡って山沿いの道に入った。
折からの強い西風に、ノボリ旗はほとんど真横に棚引いて、葬列の人達のマントやコートをはためかせて止らなかった。
私は葬列の真ん中あたりを、大人達に囲まれて歩いていたが、吹きつける寒風に凍えた体から、小刻みの震えがやむ事なく生まれて、こんな日にお墓に入るおじいちゃんは寒くないだろうかと思った。
その頃はまだ埋葬のほとんどは土葬だったのだ。http://www.atelierhakubi.com/

著者: 大野 裕
タイトル: こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳

著者: チャールズ M.シュルツ, Charles M. Schulz, 細谷 亮太
タイトル: チャーリー・ブラウンなぜなんだい?―ともだちがおもい病気になったとき

著者: 石原 結実
タイトル: 「体を温める」と病気は必ず治る―クスリをいっさい使わない最善の内臓強化法
近所のおじいさんが死んだ。
脊椎カリエスという病気で長く床に就いていたが、一昨日の朝、家族に見守られての最後だったという。
私は家の使いでいつも訪ねていたので、よくおじいちゃんの話し相手になって、病床の退屈凌ぎに手を貸した。
だから、おじいちゃんの死は、私にも辛い出来事だった。
おじいちゃんの家の菩提寺は、近くの福厳寺ではなく、7丁目の切通しを越えて今福に入り、更に五十部を抜けた大岩にあったから、葬列が家を出て墓地に着くまでには、多分一時間以上かかるだろう。
母は私が葬列について行くのを、道が遠いのを理由になかなか許さなかったが、何度も熱心に頼んだおかげで、決して独り歩きをしない事を条件に許してくれた。
たまたま葬儀の日は日曜日だったから、学校を休まなくて済むのも、母が許してくれた理由のひとつなのだ。
葬儀が終わり、じゃんぼんのドラの音に集まって来た子供達への念仏玉が済むと、何本もの高いノボリ旗を先頭にして、長い葬列は別れを惜しむかのように家の庭を三度まわると、逆川に沿った道を北に進んで本街道に出ると、そこを左に曲って7丁目交番前を抜け、切通しを渡って山沿いの道に入った。
折からの強い西風に、ノボリ旗はほとんど真横に棚引いて、葬列の人達のマントやコートをはためかせて止らなかった。
私は葬列の真ん中あたりを、大人達に囲まれて歩いていたが、吹きつける寒風に凍えた体から、小刻みの震えがやむ事なく生まれて、こんな日にお墓に入るおじいちゃんは寒くないだろうかと思った。
その頃はまだ埋葬のほとんどは土葬だったのだ。http://www.atelierhakubi.com/
著者: 大野 裕
タイトル: こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳
著者: チャールズ M.シュルツ, Charles M. Schulz, 細谷 亮太
タイトル: チャーリー・ブラウンなぜなんだい?―ともだちがおもい病気になったとき
著者: 石原 結実
タイトル: 「体を温める」と病気は必ず治る―クスリをいっさい使わない最善の内臓強化法