アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170131 | アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170131

 【晴】
 信じられない事だが、母屋の便所には電燈がついていなかった上に、その場所が北の濡縁の端で半分外に出ている形だったので、いくら部屋の明りをつけていても、夜は真っ暗な中で用を足さなければならない。

 その怖さは、まるで冷たい手が体の中に入って来て、魂をグッと掴んで引き出して行くような気持ちだった。

 母の手が空いている時には、半分開いた便所の戸の外に立って、私の用が終わるまでいてくれたが、いつもという訳にもいかず、大抵はブルブルおびえながら真っ暗な闇の中にうずくまり、じっと耐えていなければならなかった。

 そんな時、目の前の闇の中には、人間にとって恐ろしい色々なものが、確かな手応えで息づいている気がしてならず、思わず大声で歌を歌ったり数を数えたりしてごまかした。

 上の姉は私よりずっと臆病だったから、しょっちゅう私をつかまえては便所の脇に立たせたが、こっちには男の意地があったので、姉に見てもらう事は決してしなかった。

 第一そんな事をすれば、姉は自分を棚に上げて、何かにつけて恩着せがましく言い立てるに違いないのだ。

 便所だけでなく、外の物置にも明りがなかった。

 そこには漬物の樽も積んであったから、私や姉達も親に言いつけられて夜の闇の中を、漬物を取りに行く事もあった。

 物置は便所とは違う怖さがあって、お化けや幽霊の怖さではなく、人さらいや泥棒、それから浮浪者のような、どちらかといえば人間の怖さがつきまとっていたのだ。

 その頃、時々ではあったが、物置や家の影などに、無断で野宿する人などがいたからだ。

 それでも私は夜の便所よりも、物置に入る方がずっと良かった。

 相手が人間なら何とか戦えるし、もしかしたら勝てるかもしれないからだ。

 同じ闇でも、布団の中の闇は少しも怖くないのはなぜだろう。

 その事を親に尋ねると、親は「布団の中は母親の腹の中と同じだからだ」と教えてくれた。

 私は本当にそうだなと、心底思った。http://www.atelierhakubi.com/