アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161118 | アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161118

 【曇】《17日の続き》
 特大のもんじゃきは、腹の空いた大人ならともかく子供には大き過ぎるので、半分の量を越えると余し気味になり、あとは人にくれるのが嫌という理由で、無理に口に運んだ。
だから後半は大抵苦しい思いをしながらのもんじゃきとなった。

「もう食えねえんだろう。無理して食うと腹こわすから、その辺でやめといた方がいいぞ」

 期待に目を輝かせながらおためごかしを言う奴らに囲まれると、つい弱気になって(残りはみんなにくれちゃおうかな)などと思ってしまうのだが、なぜかこれがくれられない。

 食べてもどうせ美味しくないのに、どんぶりを両手で抱えて頑張ってしまうのだ。

 それはケチというより負け惜しみなのかもしれない。

 意気揚々とどんぶりにサジを入れた手前、「まいりました」とは言えないというところだろう。

 そんな日の晩飯に限って、大皿に盛られた刺身が「魚英」から配達されたり、普段めったにありつけないすき焼きだったりするから本当に腹が立つ。

 それでもうっかり箸をつけなかったりすると、とたんに買い食いがバレてしまうので、本当はゲーッと言いたいところなのをグッと我慢して、少しは食べなければならないのが辛かった。

 どんなに美味しいものでも、腹がいっぱいの時には、ただの苦痛の元でしかないのはどうしてなのだろうか。

 私はそれが不思議でならなかったので親に聞いてみたが、親は「そんな当り前の事を聞くんじゃない」と頭ごなしだった。

 でも本当は親も答が分からないから、怒ったふりをしてごまかしたのだと思う。

 あの頃は学校の先生だって、質問に答えられない時には、きまって質問した子供を叱り付ける人もいた位だから、親はそれ以上にごまかしをやったと私は思う。http://www.atelierhakubi.com/